文章や言葉で表現する世界では、
数字というものは
時に信ぴょう性を増し、時に失う
なんとも扱いづらいものです。
例えば
この商品は70%の人が満足しています
だったら
「ちょっと買ってみようか」と思う人も多いでしょう。
でも
この手術は70%が成功します
と言われたら
ついつい失敗する30%に意識がいってしまって
決断に踏み切れないかもしれません。
人はマイナスの方がどうしても気になるんですよね。
先日、
大阪府知事のはしもっさんによって
「大阪水没説」が発表されましたね。
前々から、南海・東南海地震がきたら
「ホワイティや梅田の地下街は水没する」
みたいな話はうっすら聞いていたけれど、
誰もはっきりとは言ってくれませんでした。
平松大阪市長は、
「津波の高さの根拠もないのに、
ただ来ることだけを発表するのは横暴だ、
対策とかをしっかり練ってから発表するべき」
との見解を示したし、
それもそうかと思うところもあるんだけれど、
今日この瞬間にも来るかもしれないのに、
対策を練ってから発表されては
間に合わないかもしれませんよね。
でも平日のほとんどの時間を
大阪梅田界隈で過ごす一会社員としては、
今回のはしもっさんの発表は
「あぁ、やっぱり津波がくるかもしれないんだ、知って良かった」と思いました。
今回の発表を知ったことで、
もし大きな地震がきたときに地下にいたら、
私は「とにかく上の方にあがらなきゃ!」って思うでしょう。
予想される津波の高さに根拠があるかどうかではなく
「津波がくる可能性がある」ことを教えてくれたから
「よくわかんないから念のためにちゃんと逃げよう」って
思えるわけで。
「3m」とか「6m」とか言われても、
それってどんだけ違うの?って思いますし、
数字を出さないことは
科学者や政治的立場からすると
ちゃんとしてない不確かな情報なのかも知れませんが
説明されても結局わからない人間からすれば、
「来るかもしれないよ!」の方がよっぽど”正確な情報”なのです。
特に日本人は集団を意識しすぎるため
部屋に煙が入ってきても、
他の人が逃げなかったら逃げないなんて衝撃の実験結果があったりします。
そんな人種だからこそ
ただ「来るよ」という情報を与えて、少し過剰なくらいの不安感をあおっておくのは必要なことなのかもしれませんね。