電車にのるとイヤでも目に入る脱毛の広告。

強制的に脱毛を意識させられ、脱毛しなければ夏を越せない、肌を見せられない。そんな風に感じてしまう。

「かわいい子なら肌はつるつるでなければならない。」

私はいつからこんな脅迫概念を植え付けられてしまった?

 

 



 私も社会人になって数年、その間何度も脱毛を考えた。そのたび近場の脱毛サロンを検索し、料金をみて驚く。


全身脱毛を想定すると、医療脱毛は35万、美容脱毛は15万が相場のようだ。
高価なのに加えて時間もかかる。前日には毛の処理もしないといけないし、予約をとって時間に間に合うように現場に行かなければならない。めんどくさすぎる。
こんなに時間もお金も費やすのにどうして脱毛などしなければならないのかと。
そうして私は脱毛を断念する。



 脱毛をするのは今や女性だけではない。メンズ脱毛というのも流行っているようだ。
 

先日、メンズ脱毛関連の詐欺被害についてニュースで取り上げられていた。メンズ脱毛がニュースで取り上げられるほどメジャーな存在だったのかと驚いた。


 昨今の脱毛ブームを作り上げているのは人気YouTuberと言われる職業の人たちだろう。実際、YouTubeで何度も目にしたことがある。


人気YouTuberが脱毛サロンの広報として宣伝を行う、それ自体に詳しく言及するつもりはない。

だが、近年のネット普及によってより身近な理想像が作り上げられ、皆がそこを目指すようになっていることについてYouTuberという存在は大いに影響していると考える。


誰でもネットに配信できる世の中、皆が人気YouTuberになれる可能性を秘めている。
昔、あこがれの存在は雑誌のモデルだったかもしれない。手の届かない憧れが今は身近なあこがれに変わっている。


そのことが、「~でなければならない。」とより強く感じる一因になっているのではないだろうか?

コロナ渦での生活で、私の環境はネットと仕事の往復になった。
ネットでは自分の集めたい情報だけが集まる。検索するとしばらくの間はそればかりが出てくる。これがすきだろう?これが見たいんだろう?と言わんばかりに。

そんな生活も私の「~でなければならない。」を加速させたように思う。


 私が言いたいのは、私たちには脱毛する自由があれば脱毛しない自由もあるということ。それに気づかないと「~でなければならない。」に縛られてしまう。
周りの友達がみんなやっているから無理して行くとか、かわいい子はみんな脱毛しているから行くとか。そういうのはもうやめにしていいと思う。


全部自分の思い込みだし、私のように結局脱毛していない人も世の中にいることを知っていてほしい。

脱毛のメリットはたしかにあるかもしれない。
 

だけれども私は裏事情を考えてしまう。
 

宣伝をしているYouTuberのマージンはいくらだろうか?
35万円も出してくれるなら100人集められたらどれだけの利益がでるだろうか?

 


脱毛ブームが続けば利用者はもっと増えるだろう。脱毛クリニックはもっと増える。今でさえこんなにあるのに。


自分自身へのメリットを一番に考えて選択してほしい。