『万葉集』がブームのようですが | 民営文化センター

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

「米田建築史学」シリーズのうちAB&JC版第4作『柿本人麿の真実』では『万葉集』を始めとする和歌集の歴史が以下のように語られますが、学校で習う文学史ではありえない内容です。

 

市井の理系アマチュア研究家の説ですが、これが将来認められたとしたら、文学部の皆さんはどうするつもりなんだろう、と心配になります。

 

泥舟から脱出するなら早い方が良い、とだけ言っておきます。

 

516年頃作られた『万葉集』は、672年以後に活躍した大伴旅人や山上憶良らの歌を加え、大伴家持が700年頃に編纂し直している。

 

617年頃作られた『古今和歌集』に111首を加えて、905年の醍醐天皇の命により作られた勅撰和歌集として発表されている。

 

そして651年頃作られた『新古今和歌集』は1205年に後鳥羽上皇の御意志に基づいて、藤原定家ら5人の選者が同時代歌人の歌と、672年から700年頃の歌人では大伴家持の歌を加えて選集している。

 

 

このように建築の移築に当たる行為が歌集にも行われているのである。

 

このように解明して来ると、『古今和歌集』の仮名序は617年までの歴史を正確に伝えていることが分かるし、また『新古今和歌集』には、617年以降651年頃までの『源氏物語』に登場する人々の歌を見ることが出来る。

 

この説は『万葉集』に関わった柿本人麿の人生とリンクしないのではないか?との反論がありそうですが、ちゃんと調べれば柿本人麿は“謎の人”ではなく以下の年表のような人生を送った人とわかります。

 

真実がわかっては困るので、調べようとしないだけです。

 

西暦   【年表表示】

473年  柿本人麿 島根県益田市戸田町綾部家に生誕。祖父母に育てられる。

502年  倭薈太子となる。人麿(三十歳)春宮太夫になる。

514年  春宮太夫木工頭正三位柿本人麿(四十二歳)

516年  『万葉集』撰修。

522年  司馬達等来倭。長谷寺(十一面観音・雨宝童子・難陀龍王)落成?

531年  継体軍の奇襲(磐井の乱)

534年  霊山(後に移築して奈良薬師寺)落成。

570年  金光明四天王護国之寺(東大寺)落成。

571年  平等院鳳凰堂落成。

575年  柿本人麿没(百三歳)?

柿本人麿は幼くして、神童として取り扱われ、石見国で出世し、二十歳代で近江国に引き抜かれたと考えられる。歌人としての評価も圧倒的であった。