校歌というものは在学中、あまり気にも留めない存在ですが、人生の途中では同窓会を初めとして意識する機会が時々あります。
旧制中等学校のなかでは愛知一中が最古という説があります。
愛知一中の校歌は、マラソン王日比野寛校長自らの作詞によるもので、明治37年に制定されました。
新制・旭丘高校となってからも、しばらくは歌い継がれていました。
昭和36年、入試合格発表直後の春休みから登校させられ、歌唱指導があったほどです。
昭和27年、旭丘高校初代校長の小川卓爾先生の依頼により、愛知一中の卒業生で、国文学者の久松潜一先生(当時、東大教授)が作詞を、信時 潔先生が作曲をされて、現在の校歌が制定されました。
出来てまだ10年以内の校歌も習ったのですが、新旧五分五分の熱の入れようであったと記憶しています。
歌の出だしの部分「東海の山なみ はろばろ見つつ 旭丘に学べるわれら」の「はろばろ」が妙に万葉調なのが、当時から誇らしげでした。
色々調べてみると、信時 潔先生は福岡市の筑紫丘高校の校歌も作曲されています。因みに、学校の所在地はなんと倭国の500年代、元祖・石山寺があった所なのです。