こんにちは、エマです。
これまで生きてきて、
痛切に「子どもの頃に、これがほしかった」と思うものがあります。
子どもだった当時は分かりませんでしたが、
振り返った今、
幼少期にほしかった、という意味で切望するものです。
「自分は存在していていいのだ、
この世界に存在を許されているのだ」
という感覚
「自分にはできる、力がある」
という感覚
物質的なことはさておき、
これらの感覚を育むことは、
親が子にできる最高のギフトなんじゃないかとすら思います。
私は両親から、その逆の感覚を養うメッセージを受け取り続けてきました。
「私は存在自体に価値がない、
行動して結果を出すことではじめて存在を許される」
→だから人の役に立たないといけない
「私にはできない、力がない」
→だから人からの指示に従うしかない」
自己受容の感覚があらかじめ欠けているため、
生きるのが相当苦しかったのですが、
逆にそれさえあれば、人生いかようにでもなる気がするのです。
ないものは仕方がないので、
これから自分で育んでいくしかないと分かっています。
でも、
まだ柔らかく何でも吸収できる子どもの頃に
溢れるように与えられたメッセージとは違う。
言語や音楽の学習みたいに、
大人になってから学ぶのでは、
習熟のスピードも脳の使い方にも圧倒的な差があるのではないかと思います。
心で信じていることと
頭で理解していることとでは
全然意味合いが違いますね。
頭では知ってても
そう「思えない」のは、
そこまで浸透していないから。
歴然と差があるなぁ。
それでも、いつかは思えるようになるタイミングがくる。
そう信じています。