こんばんは、エマです。

 

アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー・ロスが

自身の著作『死ぬ瞬間』で提唱している「死の受容のプロセス」というモデルがあります。

これは、「喪失の受容のプロセス」とも解釈することができます。

 

人が大切な人の死、あるいは、大切なものの喪失に直面して、

それを受容していく過程を、以下の5段階に分類しています。

 

 

1 否認と隔離(孤立)

事実を否定して、周囲から孤立する段階

 

2 怒り

「どうして自分が」という強い反発と怒り

 

3 取引(神との取引)

この事実を自分の行動で何とかできないか、試行錯誤する段階

 

4 抑うつ

悲観と絶望に打ちひしがれ憂うつな気分に陥る

 

5 受容

事実を受け入れ、心に平穏が訪れる

 

 

 

 

私は今おそらく、この中の「取引」の状態にいると言えます。

 

 

私はこれまでの人生、散々悩まされ続けてきた両親との関係から、

ずっと自分自身のことを

「実の親からすら愛されない人間」

と思ってきました。

 

そして、その対策として

「私が頑張って両親や周囲の期待に応えることができれば、認めてもらえる(=生きててもいい)」

いという生存戦略をとり続けてきたのです。

 

 

それは、自分の行動次第では、まだ両親からの愛を得られる可能性があるという

わずかな可能性にすがっているがゆえの行動でした。

 

 

ところが、私が何をしようとどうあろうと、

私の両親はそれに応えてくれることはありません。

 

 

 

頭では、分かっていました。

でも、心では、ちっとも納得していなかった。

ずっと希望が捨てられなかった。

 

 

まさかこんな歳になってまで、

これまでこんなに傷つけられてまで、

未だにまだ、私が両親からの愛を一番に求めていただなんて……。

 

そして、それが永遠に得られないものだということを、

こんなにも受け入れたくなかったなんて。

 

 

 

 

意識や思考(=顕在意識)では、

自分の自由な人生を望む一方で、

心(=潜在意識)では、

親の下に留まって親から愛されることを望んでいた。

 

大人の頭と子どもの心。

 

まったく合理的ではないけれど、

未完了のまま置き去りにされた、傷ついた子どもの願いのほうが勝っていたのです。

 

 

 

やはり、顕在意識より潜在意識のほうが圧倒的に強かった。

 

 

 

 

現実を見れば一目瞭然なのに、

私はそれを認識して受け入れたくなかったのです。

 

 

自分が最も強く求めているものが、

自分の求めているかたちでは決して手に入らないという事実を

認めることが、あまりにも辛く、あまりにも痛かったからです。

 

 

 

この痛みに触れないために、

私はこれまでの人生、

色々と試行錯誤し、努力し続けてきたのかと思うと、

愕然とします。

 

 

今はまだ、受け入れられない。

けれど、気づいた。

 

無視しようと思ったら、またいくらでも先延ばしできたろうけれど、

ようやく認識する準備が整ったということなのだろうか。

 

 

それにしても、この喪失、

私がこの人生において最も愛されたかった人に愛されないという事実は、

過去のどんな失恋よりも圧倒的に辛くて、痛い。