子どもの頃から繰り返してしまう、自分でも不可解な行動がありました。

記憶に残っている限り、4歳の頃には既にやっていた。

 

仲良しのお友達に、

なぜか冷たくしてしまったり、

突き放したりする。

 

 

 

別に相手を嫌いなわけではなく、

むしろ好きなのです。

相手もこちらを「仲良し」と認識してくれているのが分かるし、

よく一緒に遊んでいる。

 

にも関わらず、

なぜか、

その相手に対して、わざとそっけなくしてしまう。

 

自分自身でも、

なぜそのような行動をとってしまうのかが分かりませんでした。

 

思春期を過ぎてからも、

特に仲の良い友人や

異性に対してとってしまう天邪鬼な態度。

 

どうしてなんだろう?

本当は仲良くしたいはずなのに……。

 

自分に好意を持ってくれる相手に嫌悪感を抱くのは、

自己肯定感の低さゆえと聞いたことはありますが、

そんなに幼い頃から?

自分でも不思議に思っていたのでした。

 

 

もはや忘れかけていた記憶でしたが、

たまたまアルテイシアさんのコラムを読んでいてはっと気づきました。

 

あ、私のあれは「お試し行動」だったと。

 

 

 

アルテイシアさんは、毒親育ちの作家で、

なかなかヘビーな家庭環境で育ち、

18歳のときに家を出て自活するも、

その後もご両親との関係で苦しみ、

その諸々を著作で発信されています。

 

壮絶な過去をもちながら、

オタクネタや笑いを交えた軽妙なタッチで、

本質を突く文章が素敵な作家・コラムニストさんです。

 

 

私は両親からの安定した愛情が得られない、

非常に不安定な環境で幼少期を過ごしました。

 

いつ何時、何をきっかけに親がキレるかもしれない、

暴力をふるわれるかもしれない、

と思えば、猫なで声で可愛がられるときもある。

 

どうすればお父さんお母さんが喜ぶのか、

基準が分からない。

でも、少なくとも私が怒られるのは私がいい子じゃないから。

 

息をひそめて、両親の顔色をうかがう。

そんな環境では、心理的安全性は育まれません。

 

常に警戒モード。

私に対する関心や愛情は、

いつ失われるかも分からない。

 

「見捨てられ不安」

 

それが、家庭だけではなくお友達に対しても発動し、

 

この子はどんな状況でも私のことを好きでいてくれるのだろうか?

こんないじわるをしても?

そっけない態度をとっても?

変わらず、私を好きでいてくれる?

 

そんな思いからお試し行動をとっていたのでしょう。

 

原理が分かり、

深く納得するとともに、

そうせざるを得なかった幼い私自身のことを思い、

涙が出てきました。

 

 

私自身でいること、

ありのままの自分らしくいること、

それが許されなかった幼い子どもに対し、

ただただ、

「ああ、つらかったよね」

そう声かけして抱きしめること、

 

実際にはかなわなかったそれを、

大人になった今の私が、

心の中でしてあげることで、

内側の小さな子どもの私は少しでも救われるだろうか。

 

 

何十年もたって、答え合わせのように気づくこともあるのですね。