恋愛や婚活において、私が何度も繰り返してきてしまったパターンがあります。

 

 

 

 

はじめは好かれようとか良く見られようとかいう意識もなく、

自然体に振る舞っているのに、

相手から好意をもたれて仲良くなったり、付き合ったりすると、

途端に相手の顔色が気になり出す。

 

気づけば、立場は逆転し、

こちらが追いかけている側になっている。

 

いつも彼からどう思われるかが気になり、

連絡がこないと不安になる。

 

LINEの返信が来ないのは、私が何か気に障ることを言ってしまったから?

前はもっとマメに電話してくれたのに……。


はい、重い~真顔

 

 

言葉で直接言わないまでも、

このオーラ、確実に相手に伝わっている……!

 

 

そして、そんなプレッシャーをかけてくる相手からは

何となく逃げたくなるアセアセ

 

 

 

今こうやって書き出してみれば、

原理は分かるけれど、

どっぷりハマって悲劇のヒロイン状態になっているときは

自分で気づけない。

 

 

同じような状況に陥りがちな女性、多いのではないでしょうか。

 

 

 

自分自身に関して言えば、

数々の失敗体験と学びを経て、

低い自己受容感と

満たされない承認欲求が

大元の原因にあるのではないかということに気づきました。

 

 

幼少期の両親との不健全な関係性を

大人になってから、

恋愛という親密な他者との関係で再現してしまう。

 

 

たとえば、
私は自分の話を聞いてくれる男性に好意を抱きやすいのですが、

それは「私のことを理解して、受け入れてほしい」という気持ちの表れ。

 

そして、本当にそんなことのできる男性は超々希少種です。


だから、マメな聞き上手を装ったモラ男にひっかかりやすかったのだと

思います。

 

一時期は、男性は皆モラハラなのかと思ってしまうほどでしたネガティブ




仕事や趣味の場では、自分の役割やその場でのゴールを意識しているからか、

聞き役に徹することもできます。

 

初対面の人たちにも、

「話しやすい!聞き上手だ!」「話す職業の方ですか?」

など言っていただいたり。


でも、親密な関係となると、途端に承認欲求が出てしまいます。
 

 

承認を求めるその裏で、否定されるのが怖いという気持ちがあります。
意見に同意してもらえないと、私自身を否定されたような気がしてしまう。



子どもの頃に、

「そのままの私で存在していい」という心理的安全性が得られないと、

それを穴埋めするために、

大人になってから色々と努力が必要になるんだなとは感じます。

少なくとも、健全な愛情のもとに、自分は存在するだけでいいというメッセージを受け取りながら育った人とは違う。


そもそも「存在が許されている」というベースの部分にハンデを負っている状態で、
健全な愛し方、愛され方が分からず、

長年さまよってしまったような気がします。

 

 

ただ、時折自暴自棄になることはあっても、

ここまで生きてこられたのは、

周囲の誰かの愛情や助けのおかげ。

 

本当に存在が許されていなかったら、

私がこの年齢まで生き延びることなどできなかったわけです。

 

 

毒親育ちでも、

幸せな家庭を築いている先達はいるキラキラ

 

人より苦労する場面は多かったとしても、

その分、得られる幸せは大きい。

 

 

ここまで諦めなかった、諦められなかった

「私も、自分の幸せな家庭を築きたい」

という願い。

 

 

叶えていいんだよ~

と、

自分だけは自分に言ってあげたいのです照れ

 

 

ちょっと落ち込むことがあったので、改めて書いてみました。