昨夜は満月が雲に隠れていたけれど、

今夜は煌々と明るいお月様が見られました。

 

月は蟹座にあると、そのパワーがさらに強まります。

 

昨日のうちに蟹座から獅子座に移動したけれど、

力強さを感じさせる月だなぁと思いました。

 

そんな月の影響か、

ふと子どもの頃の記憶がよみがえってきました。

 

 

 

 

小学校に上がったばかりの頃、

まー君という名の、仲の良い同級生がいました。

 

男の子だけれど、上にお姉さんがいるせいか

おっとりしていて優しい性格で、

あやとりやお人形など、女の子の遊びに詳しい子でした。

 

私たちはとても気が合って、

まー君はよく私の家に遊びに来ては、

一緒にお人形遊びやままごとをしていました。

 

 

私の母は、それをこころよく思わなかったようで、

 

「男の子なのに、女の子の遊びをするのはおかしい」

「あの子は変わっているから、一緒に遊んではだめ」

 

と言い出し始めました。

 

女の子の遊びが好きなこと以外にも、

冬なのに短パンをはいていたり、

もう小学生なのに補助輪つきの自転車に乗っていることも

すべて「普通じゃない」ため、

母の気に入らないのでした。

 

 

仲の良い友達のことを否定されるのはとても悲しかったのですが、

まー君と遊ぶことによって母の機嫌は決まって悪くなり、

そのうち、私自身も否定されているような

罪悪感を感じるようになりました。

 

 

その板挟みに耐えかねて、

ある日私は、まー君に

 

「もうこれからはあんまり遊べないと思う。

家には来ないで」

 

と言ってしまいました。

 

それに対して、悲しげな顔で

「分かった」

とだけ呟き、

補助輪付きの自転車で去っていくまー君の後ろ姿を見ながら

私は、言いようのない寂しさと罪の意識に襲われていました。

 

 

私は、お母さんに嫌われたくないばかりに、

まー君に酷いことをしてしまったんじゃないか。

 

 

その後ほどなくして、まー君は転校してしまい、

私はそのときのことを謝ることができませんでした。

 

今、彼がどこでどうしているのかも知りません。

 

 

当時の私は、

なぜ、男の子がお人形やままごとで遊ぶことが悪いのか

よく分かりませんでした。

 

正直、今も分からない。

 

 

近年は男性女性だけではない

ジェンダーに関する認識がだいぶ浸透してきているように思いますが、

時代の流れ以上に、

個人の価値観や感覚は強いと感じます。

 

 

私の母は

「普通じゃないもの」が許せない人でした。

 

 

その普通という基準にはまりきることができない私という娘のことも、

理解できず、受け入れられなかっただと思います。

 

 

「恥ずかしい」

「あんたはどうしてそんなにおかしいの?」

「どうして普通の子と同じにできないの?」

 

 

そう言い続けられ、

私は自分自身のことを、

人としてまっとうではない、

ひどく不出来な恥ずかしい存在だと思い込んで育ちました。

 

 

「普通」や「世間」という

確固たる定義があるわけではない

漠然とした共同幻想。

 

それに対する恐れや不安。

 

 

若くして非常に悟っている人もいれば、

年をとっても、子どもや孫がいても、狭い価値観の中でしか生きられない人もいる。

 

生きてきた年数や、

親だから、独身だから、子どもを育てたから、産んでいないから。

 

 

そういう要因や関係性とはまったく無関係に

「魂のレベル」というものがある

という説を聞き、随分と救われた思いがしました。

 

その人の魂が

まだ経験が浅いのか、

あるいは何度も転生を繰り返して悟っているのか。

 

今世、何を学ぼうと意図してきたのかは全然違っている。

家族であっても、たまたま今回はこの関係性だっただけで、

親だから偉い、悟っているというわけではない。

 

 

母が私の考えを理解できなかったとしても、

私が母の価値観を理解できなかったとしても、

ただ、違うだけ。

 

まー君は、

女子と一緒にお人形遊びをする自分のことを

受け入れていました。

多分まー君の魂は、色んな体験をしてきて、器が大きかったのでしょう。

 

 

親だから老成していて、子どもより真実を知っているというのは、思い込みなんだ。

そう思ったら、過去の悲しい感情も、少し救われる気がします。