巷にあふれる「愛される」「選ばれる」系の記事の数々を眺めていて思うこと。
これらを総括すると、日本の女性は非常に酷なものを求められていることになってしまう……!!
精神的にも経済的にも自立していて、仕事以外に友達との付き合いも充実。
一人の時間も楽しめるけれど、家事は結婚前から完璧にこなしているため、楽々できる。
清楚だけど小悪魔な一面もあり、彼に依存しないけど、甘え上手で、男性の自尊心を高めてくれる。
困ったときには頼れるしっかり者
彼または夫の家族や友達ともソツなく付き合え、家は素敵なインテリアで常にすっきり心地良く、妻になっても母になっても、女を忘れずキラキラして魅力的
自然体で感情を素直に表現し、愛嬌もあるけれど、
大人の分別も兼ね備えている。
もちろん、仕事も堅実にこなし、
経済的にも支えてくれる
人々の野放図な望みをつぎはぎしてつくられた想像の女神像。
貞淑で賢く、内面も外見も美しい。
すべてを兼ね備え、
すべてから愛されるが、
自分だけを愛してくれる。
うん。
パーフェクト
一部の隙もないよ。
もうね。
これを探したほうがいいと思うの。
こういった理想像と自分を比べて、私にはこれが足りないと落ち込む真面目な女性たち
むしろ、はっきり自我があってわがままなくらいの女性のほうが、あっさり結婚していく事実。
『デフレの正体』の著者、藻谷浩介さんがどこかで書かれていた文章を思い出した。
もうだいぶ前のことで、出典が明らかでないのだけど、
男女共同参画ともてはやし、男性と同じように働くことを賞賛しながら、
家事や育児は依然として完璧を求められる日本人女性たち。
現代の日本は、女性だけに過労死を強いる社会になっているのではないか?
というような概要で、
衝撃的だったけれど、ひどく納得してしまいました。
人間は完璧にはなれない。
完璧な存在がいるとしたら、それは人間ではないのだ。