令和の時代なのに、婚活観というものが、あまりにも旧態依然としていることにびっくりさせられる。

でも、言い訳しておくと、懸命に活動している当事者はそれになかなか気づけないのだ。

 

「外に正解がある」という観念をもっていると、ついつい、どんなに歪んだ概念であろうとも、それが正しいのだと思ってしまいがちです。

 

でもって、婚活関連サービスを提供している側は皆、暗にこういうメッセージを提示してきます。

 

 

「ハイスぺに選ばれるか、さもなくば死か」

 

 

 

 

はっきり明言してしまうと非常にゲスいですが、

結婚相談所も結婚情報サービスも婚活コンサルも、

少なくとも私が接触し経験してきた範囲では皆のきなみ同様のメッセージを示してくるのです。

 

ハイスペの概念は様々。

ちなみに、私が相談所で活動していたときは、自分と同等の学歴の方を希望すると言うと

 

「あなたが望むような男性は、世間的にはハイスペックです。

そういう男性は、若くてかわいい女性を希望するのが当然なので、

あなたは高望み!もっと条件を下げなさい」

とカウンセラーさんに怒られました。

 

このご時世でも、田舎では、大学卒というだけでハイスペックと見なされるらしい……。

 

 

でも、まあ場所が変われば事情も変わる。

定義は様々です。

都会では上記のようなことはなく、むしろ、上を見ればキリがない。

 

学歴、職業、年収、家柄……

何をもってハイスペックと言うのか。

 

 

もちろん、ハイスペばかりが男性ではありません。

むしろ、割合的にはそうでない人たちのほうが多い。これは男女ともに。

 

にも関わらず、

どんなコミュニティに所属していてもなぜか

 

「〇〇ちゃんは、こんな職業の高収入な素敵な彼とお付き合いしました」

「こんな風に尽くされて、経済的にも満たされた幸せな生活をしています」

 

という事実が異常に、強調されて伝えられるのです。

 

 

「こんな風にハイスペックな男性から愛される女性は勝ち組だよね」

という優越感からだと、

有無を言わさず、それを聞かされる女性たちは暗に感じるのです。

 

だから、交際や成婚の報告もなぜか

「普通の男性ですけど」

という前置きがつくことになる。

 

 

でも

ねえ

 

 

女性の自由だとか

解放だとか

私が選ぶ意識だとか

 

 

そういった舌ざわりの良い主張をする割には

随分と

男性観が旧態依然としてやいませんか?

 

 

真面目で努力家な女性たちほど、

こういう発言を間に受けて、

 

「ハイスペ男性に選ばれない自分は

女性として価値がない」

などという思い込みを深めていくのですが……。

 

 

おそらく、発信している側も

まったく悪気はないものと思います。

 

「ハイスペックな異性から選ばれる女性は幸せだ」

という概念を、

本人も心の深い部分で信じているのでしょうから。

 

でも、

これを信じている限り、

日本の女性たちはいつまでも不自由だ。

 

 

「選ばれることに価値がある」のなら、

どこまでも受け身にならざるを得ないから。

 

そう思ってしまうのです。

 

 

負け犬の遠吠えというのなら、そうでしょうね。

 

でも、自分の意思で物事を選択できない限りは、いつまで経っても不自由だと思うのです。

私達は。

 

女性たちも

男性たちも

 

双方が窮屈な価値観。

 

 

でも、外的要因は必ずしも幸せを保証してくれるものじゃないって、

皆だんだん気付き始めてる気がする。