今さらながら、『アナと雪の女王2』を観ました。

 

ラストシーン、馬に乗って遠駆けするエルサの何と凛々しいことラブ

 

 

 

 

 

前作『アナと雪の女王』を観たときにも思ったけれど、

もはやプリンセスは、王子様に幸せにしてもらうという図式ではないのだなぁ。

 

 

(シンデレラや『美女と野獣』のベルだって、

何もせずに幸せにしてもらうのを待っていた女性ではなく、

自らの行動によって運命を切りひらいていたわけだけれど、

 

最近はそもそも王子の存在自体が必要ないみたい)

 

 

 

家族の愛

姉妹の愛

友愛

 

主人公アナの前に現れた王子は当て馬

 

 

 

今作でも、アナはプロポーズを受けても、王妃ではなく女王になり、

エルサは冒頭のように一人で自由を満喫している

けれど、とても幸せそう。

(色々と抑圧されてきたがゆえの解放感なのでしょう)

 

 

男性性の時代から女性性の時代へのシフト

 

といったことをよく耳にするようになったけれど、

ドラマや映画の主題にも表れていると感じます。


 

 

力や権力、競争といった男性的な強さを志向した社会から

調和や共感、包容力といった女性的な強さが求められるようになってきている

 

身の回りでも、そんな体感があります。

 

 

 

それはさておき、

実は私、

昔はディズニープリンセスの映画が観られませんでしたアセアセ

 

何というか、

観ていてとても居心地が悪いような気分になってしまうのですチーン

 

 

「女の子が幸せになる」

という図式を、心が受け付けない。

 

 

なぜならば、「自分が幸せになっていい」と思えていないから

 

 

 

そんな都合の良い展開あるわけないじゃん

 

 

どうせ、美人は得だよね

 

 

どうせ私は幸せになれない……

それなのに、こんなハッピーエンドの話を見聞きするのが辛い

 

 

 

そんな、いや~な暗い気持ちがどんどん湧いてくるので

観ていて辛いショボーン

 

 

もうひとつの理由として、

「不幸な状態のほうが当然」になってしまっているから

 

 

 

人の脳には変化を嫌うという特性があります。

辛く、苦しい状況でも、耐えられる限りは、そこからの変化を嫌うのです。

 

 

不幸な状態の自分=通常

 

の状態だと、そこから「幸せな自分」に移行することは、ストレスかつ恐怖なのです。

 

 

ストレスって、ネガティブな状態のみならず、

結婚などの一見ポジティブな状況の変化でも強くかかるのですよね。

 

 

これに気づいたときは、かなりの衝撃を受けましたガーン

 

 

不幸な自分が当たり前の世界なんて、

生きやすくはないし、

幸せでもないですよね。

 

 

同じ理由で、恋愛小説や漫画も、辛くて読めないものがかなりあった。

かなりのこじらせ度。

 

 

当時好んで読んでいたのは、悲恋ものか

恋愛要素がないもの。

ミステリなどの登場人物が死ぬ系のものも多かった。

 

どんどんネガティブをとり込んで、寄っていってる状態ガーン

 

この状態で婚活しても、まあ、幸せなイメージは湧かないし

イメージできないものを実現するのも難しいわけです。

 

 

今なら分かるけど、

当時は本当に分からなかった。

 

 

心理学やら

脳のしくみ

 

色んなことを知り

 

自分の心と向き合い

学んでいくうちに

 

 

あるとき、ふと

 

「あれ、プリンセスの映画が前ほど辛くない」

 

ということに気づきました。

 

 

 

どんな指標だ笑い泣き

 

 

でも、似たような女性はけっこういるんじゃないかな~と思います。