エマです。

ご無沙汰してしまいましたが、激動の2020年も、もう少しで終わりですね。

コロナのせいではありませんが、今年は周囲で亡くなる方が多く、人の生死について色々と考えさせられる年でした。

 

自分がなぜこの時代、この場所に生まれてきて、こうして生きていくのか。

自分の人生を考えだすと、否応なく向き合わされるのが両親との関係です。

子どもがいる人は、きっとお子さんのことも同じでしょう。

 

 

我が家の両親は、ともに毒親です。

それが分かったのは、大人になってからのことです。

 

子どもの頃は、客観的に自分の親とよその親を比較することは、とても難しいです。

いえ、大人になってからも、血縁や心情、感情などが複雑に絡み合う肉親だからこそ、やはり冷静に分析することは難しいと思います。

 

 

強権的で、感情の起伏が激しく突然怒り出しては妻子に当たる父と、

自分は無力で誰かに助けてもらわないと生きていけないという被害者意識の強い母、

でも実のところ、母は、言葉や態度の端々で常に父を見下し自尊心を傷つけるという間柄でした。

 

そして、母は私には非常に厳しかった。

 

 

私は母から何かで褒められた覚えがほとんどありません。

 

何をしてもしなくても「お前はダメな娘。恥ずかしい娘」と言われ、ダメ出しをされます。

そしてその基準はそのときの母の気分次第でコロコロ変わるため、何が良くて何が悪いのか分からず、私は常に母の顔色ばかりうかがって生きてきたように思います。

 

何より、母をがっかりさせたり機嫌を損ねるのが怖かったのです。

 

はっきり言って、自分の意見や希望なんてなかった。

ただ、お母さんに嫌われたくないだけ。

 

それだけを考えて行動しているのに、なぜかいつも上手くいかないショボーン

 

 

我がままで自由に振る舞う妹は褒められ、可愛がられているのを、恨めしい気持ちで見ていました。

 

ただ、嫉妬して「妹ばっかりずるい!」などと言おうものなら、たちまち母から

 

「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい!あんたはどうしてそんなに我がまま言うの」

「そんなだから、妹にも負けるのよ」

 

とお小言が飛んできます。

 

 

私はずっと自分のことを特別不細工なのだと思って生きてきました。

別に芸能人とか学校のアイドルとかそういう人たちと比べてどうこうという話ではなく、「妹と比べて」です。

 

確かに2歳違いの妹は私とは顔立ちがあまり似ていません。

学生時代も2人で歩いていると、よく人から「お友達?」と聞かれました。

 

でも、だからと言って妹が特別可愛いとか、私が特別見る目も当てられないような容姿かというと、おそらくそんなことはなく、2人ともごく普通の一般人です。

他人からは容姿のことについて、ことさらかわかわれた記憶はあまりありません。

 

 

後になって思い当たったのは、母からそのように言い聞かされていたのだということです。

「お前は本当に可愛くない。妹はこんなに可愛いのに、お洋服だってこんなに似合うのに、愛嬌があって周囲からもこんなに可愛がられるのに、あんたはちっとも可愛げがない」

そういうメッセージを、ことあるごとに受けていました。

 

 

漫画家の萩尾望都が描いた『イグアナの娘』という作品があります。

(1996年に、菅野美穂主演でドラマ化もされています)

 

 

 

 

主人公青島リカの母親は、自分の娘であるリカのことが人間ではなく醜いイグアナに見え、どうしても愛することができません。

次女であるマミは普通の人間に見えるので、マミを溺愛する一方で、リカには理不尽に冷たく接します。

リカもそのような母の影響を受け、自分自身を人間の群れに紛れ込んでしまった醜いイグアナであると信じ込み、自分は愛されない・幸せになれないと思い込むようになるのですが……

 

 

この作品、最後は涙なくしては読めません。

 

萩尾先生の細やかな人物描写やファンタジー要素を絡めた秀逸なストーリーテリングはさることながら、これ、先生自身のお母さまとのエピソードが背景にあるんですね。

それを思うと、またも涙。

 

アーティストって、自分自身の辛い記憶すら作品に昇華することができるのかと圧倒されます。

 

 

私はこの『イグアナの娘』を読んだときに、「ああ、これは私のことだ」と強く思いました。

それまで何となくモヤモヤしていた点が線に繋がった感覚でした。

 

 

私の母は、さすがに私をイグアナと認識してはいないでしょうが、親と子にも相性があると聞いたことがあります。

特別可愛い子とそうでない子がいる、と。

 

だから、母自身は自覚がないかもしれませんが、相対的に私のことは可愛くないし妹のことは可愛かったのでしょう。

 

 

成人してからもよく、「あんたは変な子どもだった」と言われます。

母にとって私はエイリアンだったのかもしれませんショボーン

 

 

そんな関係の私と母ですが、私は母の日のお祝いは欠かしたことがありませんでした。

だいたい、5月に入ると気持ちがそわそわし出します。

ポジティブな理由からではなく、緊張感のためです。

 

「母の日に何を贈ったら、お母さんは喜んでくれるんだろう?」

 

とにかく、お祝いを忘れないこと。

喜んでもらえるようなプレゼントを外さずに用意すること。

そして、母の顔色を読んで、先回りしてすぐ食べられるように夕飯の準備をしておくこと。

 

妹は何も考えていないようだから、私が主導して、一緒に用意した体にしないと。

 

夕飯は何が食べたいのかな?

え~と、こないだ話していたのは確か……

 

そういう思考がぐるぐるぐるぐる、当日を迎えるまで続きます滝汗

正直、一連の儀式が終わって母に及第点をもらえると、ほっとして脱力してしまうほどでした。

 

私にとって母の日は義務。

「お母さんありがとう」と言うのは娘の務め。

 

そういう思考にガチガチに支配されていました。

 

自分の本心なんて考えたことがなかった。

いや、本心に行きあたってしまうと、罪深くて耐えられそうにないので、わざと気付かないようにしていたのかもしれません。

 

 

私は心から「お母さんいつもありがとう」と言えた試しがない。

 

 

いつも、どこかドキドキしながら、どうかダメ出しされませんように、嫌われませんようにと思いながら、懸命に良い娘を演じていただけでした。

 

そのことに、婚活をきっかけに内省をするようになり、はじめて気づきました。

そうして、今年ははじめて自分自身の気持ちを優先して、母の日をお祝いしませんでした。

 

誰に言われるまでもなく、

 

「実の母なのに」

「冷たい娘」

「恩知らず」

 

そんな言葉が喉元まで出かかりましたが、ぐっと飲みこんで、やり過ごしました。

 

感謝していないわけじゃない。

愛していないわけじゃない。

 

でも、義務的に祝うのは何か違うと思ったから。

 

 

『イグアナ』の娘にも母の日のエピソードが出てきます。

 

リカが貯めていたおこずかいで買ったプレゼントを見た母親は、喜ぶどころか「こんなに無駄遣いして!」と怒ります。

マミのプレゼントは喜んで受け取っているのに……。

 

ああ、リカ!その切ない気持ち、分かるよ~えーん

思わず登場人物に呼び掛けてしまいました。

 

 

 

こんな話をしようものなら、世間はこう言うでしょう。

 

「血の繋がった親なのだから」

「育ててもらった恩があるのだから」

 

正論です。

 

 

でも、当事者にしか分からない、割り切れない感情がある。

 

娘はどんな母親でも、喜ばせたいのです。

 

そう、私だって、お母さんに喜んでもらいたかったし愛されたかった。

私自身も、素直にお母さんのことを愛したかった。

 

でも、お互い求めている愛情のかたちや母娘のかたちが違いすぎて、すれ違ってしまう。

 

愛したいのに傷つけあってしまう。

 

そばにいることで、なぜか上手くいかない。

 

親子なのに、親子だからこそ。

辛い。苦しい。

 

その感情を押し殺して形骸だけの親孝行をしたところで、お互い本当に幸せなのでしょうか?

 

「心から感謝が言えなくたって、いいんだよ」

 

かつて子どもだった私は、きっと誰かにそう言ってもらいたかった。

だから、同じように悩む女性にも言ってあげたいのです。

 

心から「お母さんありがとう」って言えなくても、別にあなたの感情に欠陥があるわけじゃないし、愛情が薄いわけでもない。

 

いつの日か、リカのように受け入れられる日がくるかもしれない。

 

でもそのためにはまず、あなた自身が幸せでいなくては。

だから、あなた自身の幸せを優先していいんだよ、と。