猪木のWWF奪取は極秘だった・・・?あれから38年前~ | プロレス表舞台の放浪記

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一プロレス・ファンから、電子書籍『プロレス表舞台』を立ち上げた斉藤雅治が、プロレスと関わった日々を想いのまま、書き綴る。

 猪木がボブ・バックランドを破りWWF王座を奪取した事を明かした「レスリング・レビュー」の記事。間に合わず、北米タッグのベルトを腰に巻いた猪木の写真が使用されていた。

 

 11月30日と言えば、猪木信者ならピンとくる方も多いだろう。

1979年、11月30日、徳島市立体育館にて、アントニオ猪木がボブ・バックランドを破りWWF認定ヘビー級選手権を奪取した日である。

 あれから、はや38年が経過した・・・

 

 当時は、新日本、全日本プロレスがしのぎを削り、興行戦争真っただ中の時代だ。

 全日本はNWAの後ろ盾もあり、豪華外人レスラーを独占、猪木は、保持するNWF世界ヘビーから‘世界’の名を外す事を条件にNWAに加盟していたが、NWAの恩恵に預かることはほとんどなかった。

 そんな時代の流れの中、新日本プロレスはWWFとのパイプラインを強めていった。WWFは、この頃、AWAと並び、世界の三大王座の一角を占めていた。何より、檜舞台MSGの王者というステータスは絶大であったが、既にNWAに加盟して“世界”の文字を外していた。今でこそ、WWEに名称を変え、世界ナンバーワンのプロレス団体となったが、当時は、まだまだNWAのテリトリーが最大の時代であった。

 

 1979年8月21日、ダスティ・ローデスがフロリダ・タンパにて、ハーリー・レイスを破りNWA世界ヘビー級王座を奪取。

 ローデスは、当時、全米人気者レスラーTOP3の常連で、NWA、WWFを股にかけて暴れていた。

 日本でのローデスは、初来日こそ、国際プロレスであったが、その後、全日本マットにマードックとのコンビでジ・アウトローズとして登場。オープン選手権での、レイスとの激闘も印象深い。

 新日本とWWFの提携が強化する中、MSGの常連のローデスが、NWA世界ヘビー級王者のまま、10月(1984年)に新日本来日の可能性が高まり、日本マットは騒然となる。

 結局、来日前にレイスに敗れ王座転落したローデスは、無冠のまま来日。11月1日(札幌)には、猪木との夢の対決が実現するも、時を同じくして、前日(10月31日・名古屋)ジャイアント馬場がレイスを破り、2度目のNWA世界ヘビー級王座奪取に成功した。

 猪木が挑戦したくても挑戦できないNWAに、馬場のNWAにおける政治力の強さを誇示するカタチとなった。
 一方、猪木 vs. ローデスの初対決は消化不良に終わり、1週間後(8日、小樽)ボブ・バックランドのWWF王座への挑戦権を賭けて再び激突した。

 この試合で、猪木は前NWA世界王者を否定する闘いの末、撃破すると共に、WWFへの挑戦権を手に入れた。

 

 そして、迎えた11月30日・・・

猪木はバックランドを破り、日本人で初めてWWFへの挑戦権を奪取、第9代WWF認定ヘビー級王者となる。

 しかし、この記録はWWFの歴史から長らく抹殺されることになる・・・・

 

 私の手元に、当時の王座移動劇を報じた、「レスリング・レビュー」誌の貴重な記事があるので紹介します。

「レスリング・レビュー」誌1980年6月号の表紙左下には「Top secret exposed...BACKLUND LOSES WWF TITLE!」

(極秘情報暴露・・・バックランドがWWF王座転落していた!)の吹き出しが・・・

 

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(以下「レスリング・レビュー」1985年6月号翻訳)

 

「猪木がバックランドをピン! WWF選手権は2度移動していた」

 

「レスリング・レビュー」誌、今号が発行されると、ボブ・バックランドがWWF王座を日本のスター、アントニオ猪木に奪われたことが発覚する。

 この大騒ぎを取り巻く状況は完全にはっきりしていないが、明らかに、猪木はバックランドを日本の地で、タイトルマッチにてピンフォールし、チャンピオン・ベルトを奪った。少し後に、リターンマッチが行われ、バックランドと猪木は、両者リングアウトとなった。(注=実際は没収試合)

 しかし、猪木は明らかに、ずっとベルトを保持することを望んでいないとし、WWE関係者はボブ・バックランドにベルトを返却した。試合を目撃した人は誰もが何が起こったのか唖然とした。

  我々の見解は、ボブ・バックランドはもはや本物のチャンピオンではないという事だ。これまでに、レスリングの世界では、このような不可解な出来事が起こったことはありません。

 WWF関係者は、この出来事に沈黙を守ってる ― 彼らは、この出来事が起きたことを認めていない。

 言い換えると、ボブ・バックランドが日本の何千人ものファンの前でピンフォールを奪われていたことをあなた達は知らされていません!

 しかしながら、我々は、この驚くべき出来事について知らされるべきだと感じました ― 例え、その事をWWF関係者が知られたくないと望んでいても・・・

 我々の日本の特派員からは、この試合で、アントニオ猪木がチャンピオンベルトを巻いた事を否定できない、唯一の写真があります。

 残念ながら、今号では、まだこの写真を受け取ることはできませんでしたが、次号で完全なレポートとこれらの写真を掲載します。この種の情報が見れるのは「レスリング・レビュー」をおいて、他にありません。

(以上、翻訳終了)

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 まだ、インターネットの普及してない時代、闇に葬られた猪木のWWF奪取劇、この後、猪木はIWGP設立に向け動き出した。

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