ギックリ腰と診断されウサは平成26年10月2日~10月16日まで7回通院。
リース
《 ギックリ腰の原因なんてわからんけど、中学生がなるのは聞いた事がないなぁ。》
ウサ
『 お友達に笑われるって思ってた。』
リース
《 でも、ギックリ腰になったのはしょうがないから、施術の時、声を小さく》
話が噛み合ってないが整骨院の待合室で思わず言ってしまった。ウサは…。
ウサ
『 大袈裟じゃなくてめっちゃ痛いねんで。お母さんはこの痛みを知らんから… 。』
ウサは痛みに弱い。これはウサが3歳の頃、目のふちにプツってなにかできてるのが気になって眼科に受診 。 まだ小さいけど、【さんりゅうしゅ】と言われた。切除した方がいい。このまま放置したらどんどん大きくなって、切除した傷跡が残るかもしれないから。
女の子残る顔に傷跡。衝撃を受けました。
まだ幼いから全身麻酔して処置をしないといけないからと言って、紹介状を書いてくれた。言われるがまま、紹介状を持って大きな病院に行く。検査結果は、【さんりゅうしゅ】と言われた。
夫婦2人で悩んだ結果、病院で処置をしてもらうことにした。
その時に、麻酔が切れて痛いと興奮していたので、看護師に痛がってるから痛み止めを下さいと頼んだけれど、幼すぎて痛み止めには限度があると言われる。
ウサは3歳でまだ言葉が上手く話せない状態。痛い。痛いと泣き叫ぶ。(母は、痛いの痛いの飛んでいけ)ってひたすら抱きしめてやることしかできなかった。
その後、痛みに対しての恐怖感がウサに残る。ウサが病院嫌い、薬嫌いになったのはこの事がきっかけ。
ウサを育ててきたけど、他の子とは違う。極端に痛みに弱い。例えば転んで擦り傷かできたら、水道で傷口を洗って消毒。それすらも悲鳴のように泣く。最初はわからなかったけれど、【三つ子の魂百まで】という言葉の通り、3歳の痛みがずっとトラウマになったようだ。
ウサが小学生4年生ぐらいの時に、ウサは当時のことを、話してくれた。
ウサ
『お母さんはウサが痛いって言ってるのに何もしてくれなかった。』
と言われた。ウサに説明する。
リース
《 何もしなかったんじゃなくて、頼んだけど何もしてあげられなかったんだよ。》
ウサは理解出来ない。まだ、意味がわからないのか、
ウサ
『お母さんは、なにもしてくれなかった。』
ウサには痛みと共にその当時にフラッシュバックするのだろうか… 。そうだとしたら、ウサの中では、衝撃的な痛みとお母さんはなにもしてくれなかった。という思いがずっと繰り返されるという事になる。 辛い現実。
今日も整骨院の待合室で話す。
リース
《 痛みには1~10あるとして、その中の10痛いって事はそんなにないんだよ。だから痛い=マックス10の痛みと捉えるのではなくて、落ち着いて考えようか》
これは幼い頃からウサにかけてきた言葉。いつの日にかウサに母の思いが届く日がくるのかな… 。
ウサ
『わかってる。』
思春期だからなのか、返ってくる言葉が冷たい。ウサの中では、お母さんは助けてくれなかったという思いが巡るのかな… 。