文書を書かない、キーボードをたたかない日本人社会にメールが普及した。

欧米は契約社会、すべて文書で契約を取り交わすところが基本になっている。
欧米はタイプライターの時代からキーボードに慣れ親しんでいる。
特にアメリカは税金の自己申告の国、コンピュータを使った税金の計算を個人ベースで行っている。

これらのどれにも当てはまらない日本にメールが普及した。おかしなものだ。

けど、文書をかけない、日本人がメールを使ってしまったことでトラブルはそこらじゅうで起きている。

丁寧語、敬語を文書でかけない人がぶしつけなメールを送信する。

相手がどういう場面、気持ちの状態で読むかわからないのに、過剰にフレンドリーなメールを送信する。
。。。。相手の虫の居所によっては「俺はこいつとこんなに仲良くないよ、なんか勘違いしていない?」と思われる。

そんなトラブル含みのメールが飛び交っているような気がする。恐ろしいものだ。

しかしながら、携帯のメールはそうではないようだ。。。これは日本のほうが成熟しているようだ。

どこからでも、相手の状況に関係なく、親密なタイムリーなメッセージを携帯のメールでは送信できる。

日々のストレスで疲れている人にとって、親しい人からのメールは、癒され、精神を安定させ、前向きな気持ちにしてくれる。

携帯のメールはそれを実現してくれる。
日常、でも非日常でも親しい人からのメールは心癒されるものだ。

もっと仲良くなりたいなって思う人がいるとき、おはよう、お休みなさいのメールだけでも毎日続けてみるとよい。
距離が縮まる。

ただし、あくまでも”もっと”仲良くの場合。。。。仲良くの状態まではメールに頼らず人間力で持っていく必要があることも理解したいものだ。

この人間力が足りない状態でおはよう、おやすみなさいを続けるとストーかになってしまう。

くれぐれも気をつけよう。