多文化共生するには「日本の倫理観」と同等の倫理観を持った人同士でなければ互いに不幸になる

 

日本の駅では電車から降りる人を先に降車させるために乗車する人が並んで待つ!

 

これは、降りる人、乗る人、双方にとって良い結果となるからだ。

 

ところが、諸外国の中にはそうではない国が多く存在する。

 

 

自身のことしか考えず、多くの人が我先に乗ろうとすることで混乱状態となり、結局、誰にとっても悪い状況となる。

 

倫理観や価値観が大きく異なる者同士が同じ社会で暮らせば、このような事態が日常茶飯事となり、結局は誰にとってもストレス、不満だらけとなり不幸になる。

 

 

 

多文化共生を否定はしないが、世界でも驚かれるほどの「日本の倫理観」を破壊してまで、倫理観や価値観の大きく異なる者同士が共生する必要性、意味があるのだろうか?

 

むしろ、世界でも珍しく、日本にしかない「日本の倫理観」を世界遺産に登録するかのように守り続けるべきではないのか?

 

 

やはり、移民や多文化共生は、「日本の倫理観」を理解してもらい、その「日本の倫理観」に賛同でき、実践できる外国人との共生に留めるべきではなかろうか?

 

それとも、世界で日本にしかない「日本の倫理観」を壊し、日本国民には関係ない問題にまで暮らしをかき乱され、お互いにストレスをため込み、不幸になってまで倫理観や価値観の大きく異なる外国人を受け入れるべきだと?

 

 

こんな倫理観の欠片も無い者が入り込めば、日本国内の弱い存在、女性や高齢者から犠牲者となるのは容易に想像できる。

 

倫理観があれば強い者が弱い者を助けるのが当然と考えるが、倫理観の欠片も無ければ、強い者が弱い者を好き勝手にするのが当然と考える。

 

これが平和ですか?

 

 

 

どうせなら、世界に向けて「日本の倫理観」をおすすめし、理解、賛同、実践してくれる外国人を増やしてはどうか?

 

「通勤電車に乗る際に、降りる人を先に、乗る人は後から」だけでも実践してもらえば、その良さがわかるはず。

 

日本人が長年持ち続けてきた「お互い様、お陰様」の精神を皆が持ち合わせれば、もう少し争いごとが減るのでは?

 

 

 

目に見える富士山だけでなく、目には見えないが世界で日本にしかないものを守ることも大切なのではないのか?