あの時なぜ、テロや暴力を徹底的に否定し糾弾しなかったのか?

 

安倍元首相が暗殺された時、世の中がテロや暴力を徹底して否定し、その行為や犯人を糾弾していれば、今とは違った世の中になっていただろう。

 

まるで安倍元首相暗殺を良い事のように喜び、実際にそのような発言をした連中や犯人の生い立ちや旧統一教会の話にすり替え犯行や犯人に対する糾弾を疎かにしたマスゴミ連中の責任は重大だ!

 

 

 

  こんな人たちは今の日本をどう思っているのだろう?

 

何とも思ってねぇか!

 

ブログ記事 「テロや暗殺を容認するような連中 自身がテロ、暗殺の対象となった時にも同じことが言えるのか?」

 

 

石坂啓「事件を知った時は思わずでかした! と叫びました。夫は山上様と呼んでます」


宮台真司「(山上のやった事は)世直しとして機能した」


青野慶久「自民党が旧統一教会の問題に真摯に向き合っていればテロは起きなかった」 


島田雅彦「暗殺が成功して良かった」

 

 

 

こんな思考や発言がわずかでも影響していたとしたら・・・

 

産経新聞 「N党立花氏襲撃男『急所めがけて振り下ろした』 閃光手榴弾も用意、強い殺意か」

 

 

彼らはどう責任を取るのだろう。

 

そして、自身がテロや暴力の標的となった時にも安倍元首相が暗殺された時と同じような思考でいられるだろうか?

 

自分だけは特別な存在?

 

ま、そう考えるのだろうな。

 

 

 

愚かな思考だ。

 

その愚かな思考と似た思考によって愚かな犯罪行為が自分勝手に繕われた安っぽい「正義」として行われる。

 

安倍元首相暗殺以降、暴力によってどうにかしてやろうとする事件が度々発生している今の日本。

 

どうしてこんな日本になったのでしょうね?