このような天武天皇の歴史書編集の事業は、『古事記』選集の事業とは大きく違う。
その違いは、まず選集のメンバーの違いである。
天武天皇が重んじになった歴史書編集には、川嶋王子、忍壁皇子の二人の息子、広瀬王、竹田王、桑田王、三野王の四人の王(おおきみ)、大錦下上毛野君三千、小錦中忌部連首、小錦下阿曇連稲敷、難波連大杉、大山上中臣連大島、大山下平群臣子首などの由緒ある身分出身の高官が名を連ねている。
『古事記』序文にあるように、天皇親政を政治のモットーとした天武天皇は諸氏を公平に扱う真実の歴史書の編集を目指して、このような二人の親王、四人の王、及び六人の由緒ある家柄出身の高官に歴史書の編集を命じられたのであろう。
ところが『古事記』選集に携ったのは稗田阿礼と太安万侶のわずか二人である。
そして太安万侶は父、多品治が壬申の乱で功績を上げて世に出た帰化系の出身であり、決して由緒ある身分の役人ではない。そしてもしも稗田阿礼がアメノウズメの子孫で、誰一人として五位以上になったことのない猨女氏の出身であるとすれば、このわが国最初の歴史書編集の大事業に皇子及び王はおろか一人も政府高官が参加していないことになる。
『古事記』選集について。
天武天皇が行った歴史書編集の事業と
元明天皇が行った選集事業が大きく違う、という見解。
読めていないのですが漫画でも、
稗田阿礼=不比等のお話がありますね。→ふることふひと
かぐや姫のお話の、 車持皇子(くらもちのみこ)も、
お金持ち、
嘘に真実を合わせていく、
蓬莱の枝を精工に作り上げさせた手腕。
そしてケチ?
楽しくない人物ですが、
かぐや姫の作者から見て素直に描いたキャラクターなのだろうと想像します。
しかし何というか、ツン心(?)をくすぐる人物が浮かんでしまいます。