「今とここ」を生きている言語
奥野 「つまり、「今とここ」を生きているということですね。
伊藤 「たぶんそうだと思います。例えばあしたの予定を立てたいと思って、ムラブリにあした空いている?とか聞くと「いや、分かんない」と言われるんです、大体、あしたは分かんない、あしたまた来てと言われる。どっか行ってるかもしれないし、ここにいるかもしれないからというふうな言い方をされます。でもそれを日本でやったらびっくりされるわけですよね。「あした遊びにいこうよ」と聞かれて、「いや、あしたの予定わからんわ」と言うと、「いやいや、分かるだろ。スケジュール帳見ろよ」と言いたくなる。
奥野 「私もプナンに入っていった時に、最初子供たちに対して「将来何になりたいの?」みたいなことを聞いていたんです。子供たちは全然もうぽかんとして、答えないわけですよ。
伊藤 「ですよね、きっと。
言語習得というパースペクティヴィズムの実践
言語は抽象的なものとして捉えがちだが、話すことも書くことも、聞くことも読むことも、体を経由している点で運動である。
話すことは、肺が空気を送り出し、声帯を微妙に調節しながら音を出し、それを口の中の舌や口蓋、歯や歯茎を用いて調節する。とても洗練された運動である。