■【平和をつくる心】

(五井昌久著『心はいつも青空』白光出版)

 

 一般に人間はどうも思い違いをしやすい生物で、この世界の騒乱や混迷は、自分には何の責任もなく、他人が起こしたことであり、国や社会がつくり出したものである、と思っている。(1/12)

 

 そして、すべてのマイナスを他人や社会や政府や、他国家の責任として、不平不満のありったけを言い、鋭い批判をする。それでいながら、自己の行いを正しくし、平和の方向に想念行為を向けることを一向にしていないのである。(2/12)

 

 この地球世界は、個人々々の寄り集まりで出来上がっていることは、誰でも知っていることでありながら、自分や自分の周囲の者だけは、その集団の中の特別な存在であるように思うのである。(3/12)

 

自分たちだけに特別関心をもちながら、しかも、自分たちの想念行為が、地球人類に常に影響をもっていることを考えずに、影響を受ける方にだけ想いを向けているのである。(4/12)

 

 政府はやり方が悪い、アメリカはソ連は中国は、と被害者意識が多くて、加害者の側に自分たちを置こうとはしていない。(5/12)

 

 ところがこの宇宙の在り方というものは、一つの法則によって支配されているので、自分の出した想念波動や行為が自分に返ってくる、という法則も厳然としたものなのである。(6/12)

 

 だから、この地球世界が、戦争や天変地異や、公害や、その他諸々の不幸災難を起こしているということは、その地球に住む、すべての人の想念行為の中に、そうした原因があるのであって、他人や他国にあって、自分や自国にはないのだ、ということはいえないのである。(7/12)

 

 その理を知らないで、ただ現われた現象面だけを非難し、弾劾して、その現象面だけを直そうとしても、それは只一時その現象がひっこんだりすることはあっても、完全に直ることはない。(8/12)

 

 この世を完全に平和にしたい、争いや不幸災難のない世界にしたい、と思うなら、先ず自分の想念行為を平和にし、調和したものにする方向にむけていかなければ、どうしようもないのである。(9/12)

 

 真の平和運動というものは、そういう考えを基盤にして、はじめて成り立つので、いたずらに他を誹謗し、非難しているようでは、業の輪廻になってしまって、宇宙の正しい法則に、地球人類を乗せてゆく運動にはならないのである。(10/12)

 

 近頃の宗教界の動きが、どうもこうした中庸の神の道を外れて、右に向いたり左に向いたりして、唯物論者と全く軌を同じくしてゆく傾向にあるのを、私は嘆いているのである。こういう時こそ真の宗教的祈りが大事なのであって、現象面に把われ過ぎた想いでは、真の祈りはできにくいのである。(11/12)

 

 平和をつくる心とは、神の愛を信じて、自分を平和な心にして、世界の荒波に処してゆく心なのである。(12/12)