中1の夏頃起立性調節障害診断
から完全不登校の娘

現在、通信制高校1年生

今でも治ることのない

抜毛症、リストカット、鬱
統合失調症、オーバードーズ


2024.02.08〜
精神科に再入院🏥

退院を願う母の日記です。


今日は単なるわたしの愚痴です泣き笑い


離婚してまもなく3年半

本当に色んな事があった…


子供達に無関心だった元旦那

自分の遊びで土日や大型連休は

家におらず


気付けば4泊5日で旅行まで

行っていたなんて事も!笑


そんな事ある?と

ママ友に言われる事ばかりが

わたしの現実には起こっていた泣き笑い


『詮索するな』


が、口癖だったので

いつ家にいて、いつ帰ってくるかも


いつ仕事かすらわからず

聞くと機嫌が悪くなるので


そのうち何を聞いていいのか

わからなくなってしまって


話す事すら

なくなってしまったなネガティブ


子供の行事も

気分によって来たり来なかったり


子供の誕生日も飲みに行ってしまう

とにかく自分優先の人だった



小学校高学年くらいになると

子供たちは次第に

パパを避けるようになっていった…


色々あり過ぎて、壮絶な結婚生活

お金には苦労せずで

感謝だったけど…


限界が来て離婚へ



でもやっぱり

記憶って美化されるんですよね。


最近、息子はパパとご飯へ行ったり

家にもよく遊びに行ったり


今回は同じ趣味のものを

始めるそう。

今日も一緒に出掛けてます。


内心、複雑な気持ちでしたが

きっと心を入れ替えたのかなと

思いつつ


『気をつけてね!行ってらっしゃい』

と、笑顔で息子を送り出しました。



娘はパパに会いたくないと

年に1度しか会っていなかったけど


娘:『パパにお見舞い来てって

  伝えていい?』


と、言われました。


正直、嫌でした。

起立性調節障害になった頃


朝起きる事が出来ず

不登校気味の娘を

 

『引きこもり』などと小馬鹿にし


どうせ学校なんて行かんから

養育費もいらんだろうと


最初の1年半程は

養育費を払ってもくれず


そんなんじゃ高校も行けるとこないだろ

なんて、冗談でも言わないで欲しかった


だから娘の事を相談したいと

思った事なんて1度もなく


むしろ入院している娘に

また何か言うんじゃないかと

考えるだけで嫌な気持ちになります。


でもそこで娘の会いたいっていう気持ちを

過去のわたしの嫌悪感から

会わせないのは違う気がして


わたし:『パパ、来てくれるといいね😊』

と、伝えました。


だって、その答えが正解だと思うから。



娘:『うん!楽しみ飛び出すハート


病気のせいもあって嫌な記憶が

消えてしまったのもある


記憶が美化されているのもある


だからわたしにとっては

パパと思いたくないけど


娘にとったら、たった1人のパパ


わたしは今まで娘の病気に向き合って来て

何度も何度も2人で涙を流し


娘と歩んできた道のり

それだけは忘れないで欲しいなにっこり


なんか…いいとこ取りされた気分だけど


毎日一緒にいられるからこそ

ママはいるのが当たり前ってなるのは

当然だし、仕方ない


毎日一緒にいられるだけで

充分ですよね!