自分が変人であることは、
自分が一番よく理解しています。
「加藤はなにやら難しいことを考えている」
と、思われ、
それをもって、
「さすが早稲田!」
とか言われたりしますが、
一つ断っておきますと、
早稲田の人は、俺なんかよりももっと普通の人が多いです。
早稲田に限らず、
圧倒的多数の普通の人がいる一方で、
私のような変な人が、一部いる。
それが、正しい解釈です。
なので、学歴とか、早稲田は関係ありません。
自分の何が変かというと、
多分、自分は、普通の人間が生きているのとは違う世界を生きていることにあるのだと思います。
先日、大学の後輩のS君と話をしていたのは、
「メタの世界」
ってことです。
はい、「メタ」って分かりますかね?
日本語で言い表すと「形而上」です。
英語で言い表すとmetaphysicalってところになるんですけど、
でも、この単語も、ネイティブでも理解できるか怪しいです(笑)
つまり、日本人であろうが、アメリカ人であろうが、
理解しづらい世界観の中で生きている
というのが、自分の世界観です。
でも、多分、こんなところでそんなことを書いても、
きっと95%以上の人は理解できない、もしくは途中で理解を諦めてしまうだろうと思うので、
説明しません。
この世界観ってのは、多分、世の中で言うところの「哲学」の範疇に入ってきます。
哲学っていうと、アルキメデスとか、カントとか、ハイデガーとか、
ああいうところですね。
↑、時代とか思想とか飛躍しすぎですが。
でも、
自分が好きなのは、そういう観念的な哲学ではなくて、
より実践的な社会と人間とのあり方だったりします。
「いかに生きるか」
みたいなね。
空間的には宇宙を考え、時間的には歴史を考えます。
その中で、自分たち人間がどういう存在か、
そういう存在であるが故に、いかに生きるか。
それが、自分の視座、考える軸なのです。
昔は、自分の話についてこれないような人は「アホ」だと思っていましたが、
今となっては、
世の中そんな人ばっかりだと思うようになったので、
もうアホだと思わなくなりました。
他の人がアホというか、
自分がただ変な人なんだ、と諦めるに至った訳です。
だからでしょうね、俺の周りは変な人が集まるわけで。。。
自分が一番よく理解しています。
「加藤はなにやら難しいことを考えている」
と、思われ、
それをもって、
「さすが早稲田!」
とか言われたりしますが、
一つ断っておきますと、
早稲田の人は、俺なんかよりももっと普通の人が多いです。
早稲田に限らず、
圧倒的多数の普通の人がいる一方で、
私のような変な人が、一部いる。
それが、正しい解釈です。
なので、学歴とか、早稲田は関係ありません。
自分の何が変かというと、
多分、自分は、普通の人間が生きているのとは違う世界を生きていることにあるのだと思います。
先日、大学の後輩のS君と話をしていたのは、
「メタの世界」
ってことです。
はい、「メタ」って分かりますかね?
日本語で言い表すと「形而上」です。
英語で言い表すとmetaphysicalってところになるんですけど、
でも、この単語も、ネイティブでも理解できるか怪しいです(笑)
つまり、日本人であろうが、アメリカ人であろうが、
理解しづらい世界観の中で生きている
というのが、自分の世界観です。
でも、多分、こんなところでそんなことを書いても、
きっと95%以上の人は理解できない、もしくは途中で理解を諦めてしまうだろうと思うので、
説明しません。
この世界観ってのは、多分、世の中で言うところの「哲学」の範疇に入ってきます。
哲学っていうと、アルキメデスとか、カントとか、ハイデガーとか、
ああいうところですね。
↑、時代とか思想とか飛躍しすぎですが。
でも、
自分が好きなのは、そういう観念的な哲学ではなくて、
より実践的な社会と人間とのあり方だったりします。
「いかに生きるか」
みたいなね。
空間的には宇宙を考え、時間的には歴史を考えます。
その中で、自分たち人間がどういう存在か、
そういう存在であるが故に、いかに生きるか。
それが、自分の視座、考える軸なのです。
昔は、自分の話についてこれないような人は「アホ」だと思っていましたが、
今となっては、
世の中そんな人ばっかりだと思うようになったので、
もうアホだと思わなくなりました。
他の人がアホというか、
自分がただ変な人なんだ、と諦めるに至った訳です。
だからでしょうね、俺の周りは変な人が集まるわけで。。。