英語でのコミュニケーションについて、強く考えさせられた。
特に今回のツアーについては、

アメリカ人、オーストラリア人、スペイン人、ドイツ人、ウガンダ人、エチオピア人、ミャンマー人、
がいる中で、
それぞれ立場も違う中で、
英語をしゃべれる人もいれば、しゃべれない人もいて、
そして、英語をしゃべれる人も、人それぞれアクセントとかイントネーションが全く違うわけで、

英会話というものを通して、

日本という国の英語教育と、海外との距離感というか、そんなものを強く感じさせられた。


日本の英語教育は、アメリカ英語が標準なのだけど、
これは、世界的に考えると、あまり良いことではない。
もちろん一つの標準としてマスターする分には全然問題はないのだろうけど、
アメリカ英語一辺倒になってしまうことで、他の地域の英語に対する順応性が低くなってしまう可能性が高いということ。

自分の場合、アメリカ人の英語なら70%、
オーストラリア人だと50%だけど、
これがスペイン人になると30%ぐらいしか理解ができないw
ところが、ウガンダ人だと80%ぐらいは分かるw

みんな同じ英語をしゃべっているはずなのに、理解できたり理解できなかったり。

そういう意味では、国際的にも標準となっているアメリカ英語を、発音からマスターできると、
国際的には最も通用する英語を使えることになるんだろうとは思うけど、
ただ、日本の英語教育は、「美しく、完璧な」英語を求めるあまり、
「サバイバルのために必要な」英語を使えるような教育になっていないのだと思う。

これは、今回痛感した。


世界的に見て、まず必要なのは「サバイバルに必要な」英語であって、
間違えようがなんだろうが、とにかく相手に自分の意思を通すためのコミュニケーションスキルで、
文法だとか、語彙なんてものは、その精度を高めるためには必要なことだけど、
まず文法と語彙から攻めて、その上でコミュニケーション、という流れは本来的ではないと思った。

つまり、簡単に言ってしまえば、

間違えを恐れるな。
発音なんか気にするな。
とにかく喋れ。

そして、

そのサバイバル環境に身を置け。

ということなんだろうけど、
日本は、やっぱりちょっと過保護なんだろうなと。
他を寄せ付けたがらない国民性もあると思うし、自分の国の殻に閉じこもりたがる国民性もあるんだと思う。


でも、今回こういうことを感じて、日本国民がどうのこうのとか語りたいわけではなくて、
単純に、自分の中での英語学習の方向性について、ちょっとした指針を得たというのが正直なところ。

なんというか、正直、彼らの英語を聞いていて、
はっきり言って、スペイン人やドイツ人の英語よりも、自分の方がスタンダードなアメリカ英語に近いと思ったし、
それでも、コミュニケーション能力としては彼らの方が高いわけで、
では、自分ももっとコミュニケーションに対して崩していくと同時に質を高めていくような方向で
勉強をしていきたいと思ったのです。


これは、英語の勉強に限ったことではなくて、
恐らく、その他の実学・科学・知識などについても同じようなことが言えるのではないかと。



最近、Michael Sandel(マイケル・サンデル)というハーバード大学の教授の講義が放送されていて、
この講義を見ていたんだけど、
この講義を受けているハーバード大学の生徒がそれほどまでに優秀なのかというと、
この番組を見ている限りにおいては、決してそんなことはないんだろうなと思ったのです。

ただ彼らは、アメリカ国籍ではないかもしれないし、英語もスタンダードではないかもしれないけど、
思考し、自分の意見を主張する。


たかが英語、ですよ。
もっと軽く、しかし深く考えていけば良いのだと思えたのは、自分が勉強を進める上でかなり大きな収穫だった。