プロフェッショナル

仕事の流儀 

12月4日(月) NHK総合 

 

【語り 貫地谷しほり】 

 

でも その心の内には 

ある思いがあった 

 

〝自由になりたい〟

 

もっと自由に 音を奏でたい 

 

二十歳で

ブロン先生に別れを告げ 

ドイツ南部の 

フライブルグに移り住んだ 

 

 

新しく師と仰いだのは 

ドイツ人の 

ライナー・クスマウル 

 

かつて 

ベルリン・フィルで

コンマスを務めた名手だった 

 

レッスンに通い始めて驚いた 

 

そもそも 

レッスンの回数が少ないうえ 

「自由に 

好きな音楽を作っていい」 

と言う 

 

樫本大進 

先生に質問しても 

先生は 

「オマエはどうしたいんだ」

「それも 

自分で先ず分かってないと

意味ないじゃないか」 と

 

 

クスマウル先生は言った 

〝楽しまなければ 

いい音楽は生まれない〟 

 

「海で泳ごう」 

本番前 

そう突然言い出したことも

あった 

 

樫本大進 

「よし皆着替えて 海入るぞ」

つって 皆で (笑) ビーチ 

ブロン先生の時 

絶対考えられなかったですよ 

 

精一杯コンサートした後 

精一杯お食事食べに行くし 

精一杯飲むし (笑) 

 

 

ぐっすり寝て 

次の朝10時にまた 

精一杯リハーサルして 

 

その 音楽家ってものは 

音楽だけじゃないんだぞって 

こういう練習室で

練習してるから 

できてくるもんじゃないと 

 

そんな30歳の時 

思わぬ誘いが舞込んだ 

 

 

〝ベルリン・フィルの

コンマスを

やってみないか〟

 

だが 

ソロばかりやってきた

樫本さんにとって 

オーケストラは未知の世界 

 

しかも 

世界最高峰のオーケストラで 

コンマスを務められる自信は 

全く無かった 

 

それでも 

〝リスクを楽しめ〟

 

樫本大進 

大成功するためには 

やっぱりリスクを 背負わなきゃ 

 

びびる びびんない 

どうでもいいんですよ 

そんなの 

 

リスクがあるっていうことを 

知ってるだけで

もうびびってんだから 

 

選抜試験には 合格した 

 

 

だが そこからが 棘の道だった 

 

コンマスとして採用されるには 

2年間の試用期間を通して 

3分の2以上の団員から

認められなければならない 

 

だが 初めてのリハーサル 

 

コンマスとしての役割など 

全く果せなかった 

 

樫本大進 

ボロボロで 

皆やりたい放題で 

弾きたい所勝手に弾いてるし 

うわ 僕のせいだ 

僕が 

このベルリン・フィルを 

崩しちゃった 

 

オーケストラ未経験の若僧に 

コンマスが務まるか 

 

 

団員の中には 

口を利いてくれない人もいた 

 

妻 りあ さん 

挨拶をしたのに 

ちょっと 

冷たく 挨拶を返されたりとか 

 

 

勿論その方の 

偶然その日の気分だった

かもしれないんですけれど 

そういう些細なことが 

その時期の主人にとっては 

とても大きなことで 

 

深夜に一人 

練習室に

閉じ篭りがちになった

 

妻 りあ さん 

私と話していても 

あまり目を

合わさなくなりましたね 

 

ちょっと

話してはいるんですけれど 

どこか違うところを見ていて 

違うことが頭にあって 

うぅん 

例えば練習に 

かなり没頭していて 

「ごはんだよ」 って言っても 

聞えなくて