2013年
2月9日 土曜日 報道特集 【TBS】



『事前宣告の時代』


(大阪・都島区)



大阪拘置所で執行された、
ある死刑囚の様子を
極秘に録音したテープが存在する




1955年当時、
死刑の宣告は2日前だった



肉親と、
最後の面会が設定されていた


[声](死刑囚)

「姉さん、
長い間有り難うございました、
お母さんにも宜しく申してください

子どもの事は、
くれぐれもお願いします

姉さん、
もう泣かないで
笑って別れましょう」

(写真提供
アムネスティ・インターナショナル日本)



他の死刑囚との送別会が開かれ、
記念写真を撮り、
(死刑囚)全員で
蛍の光 を唱和した


[全員の唱和]

「蛍の光 窓の雪、
書読む月日 重ねつつ、

何時しか年も 杉の戸を、
開けてぞ 今朝は 別れ往く…」


しかし、
死刑囚の自殺や、
自殺未遂が相次いだ為に、
法務省は
これ等の処遇を中止にした




「これは本人の顔つきですね」



記者

「此方はお客さんですか?」


「ええ、

どうですか?イエスに、
イエス・キリストに
見えませんか?」


3人を殺害した死刑囚が
全てボールペンだけで描いた絵だ



『御用納め前日 突然の執行』



この死刑囚は、
死刑確定から8年後の
2001年12月27日、
御用納めの前日に
突如(死刑が)執行された



最期の1日になった26日の日記は、



[死刑囚の日記]

「正月休みは
多少なりとも息抜きができそうだ」
と、安堵の文章になっている



稲垣 清弁護士

「かなり太いロープの痕がね、
くっきりと」


記者

「どれぐらいの大きさですか?」


稲垣 弁護士

「どうでしょうねぇ(幅)3cm
ぐらいはありましたかね


それを見て

やっぱり死刑というのは
人を殺す事、
そのものである
という風に私は感じましたね」



稲垣弁護士に、
“本日お迎えが来ました”
との遺書が届いたのは、
死刑執行後、
暫くしてからの事だった