またまたまた観てきました。

アマヤドリ本公演『人形の家』激論版。。

イプセンの代表作の一つ、人形の家。

超有名な古典、人形の家。

お初なワタシですよ、、、ナニカ凝視

あ、概要は知ってる、、、ナニカ凝視


アマヤドリの公演は オリジナル作品しか観たことがなかったので、今回 え?古典やるの⁉︎面白いに違いないよ!!となり観劇。

この作品を2バージョンで行っていて、会話主体の "激論版" と、身体表現主体の "疾走版" 。

で、激論版を観劇しました。。両方面白いと思うんだよ、アマヤドリだし、本当は両方観たいんだよ、都合により片方だけだよ真顔。。。


面白かったっす‼️

激論版 会話主体ということで、基本原作に沿っているようですが、大分刈り込んだそう。格闘技みたいな会話劇と演出の方が話されてました。

とってもポップに感じましたよ音符

ノーラが過呼吸になるんじゃないかと思ったほどに、喋ってたな。

100年前だと衝撃的な内容。現代にはマッチしていると思った…現代にした場合、ノーラではなくトルヴァルが家を出る、人形扱いをされていた、ということもあるだろうなと想像した。


女性が自立するというのは、相当な覚悟が必要なのね。コレ 100年前だからではないと思うんだな。現代でもいえることだと思う。ま、女性に限らずと思うけど、、、🙄

家や夫を捨てるって、意外に大したことではないと思うのよ。でも、子どもを捨てるのは大したことだと思うのよ。それくらいのことをしないと自立できない、自分を教育できない不憫さ…言葉がみつからないね。

ノーラと対照的だったのは、クリスティーネ。

彼女は より良く生きるために、女性という立場を良い方に活かしていた。ヘルメル夫妻の問題も気づいていたし、何が重要か見極められてるんだろうな。


女性という立場を扱われてしまっていたノーラなんですけどぉ、ノーラもトルヴァルと同じじゃね⁇と思ったよ、ワタシ。

「素晴らしい奇跡」をさ、期待していたわけよね、ノーラ。それってさ、ノーラにも理想の家庭像があったわけよね⁇ってことはさ、あの借金もその理想からでトルヴァルのためではなかったととれる。クリスティーネに話した方がいいと言われても、頑なに話さない!と拒んでいたし。

わかっていて人形を演じていたのでは⁇とも想像した。でないとねぇ、奇跡起きなかった!子ども捨てて家出る!の構図がさ、納得できないのよ、アタシャ。

衝動的な感情てあるけどさ、ノーラのは段階を経てると思うのよ。いつからか何かを感じていたんだと思うんだよなうーん


結婚8年、子ども3人、ヘルメル夫妻。

対話せずにやることやってる…ま、壊れるよな。離婚の原因の一つに、会話がないてのがあるようで、100年前も同じなのね。男女・夫婦・家族の有り様て、根本的なことは ずぅ〜っと同じ、変わらないのかも…そんなことを考えましたよ。

夫婦・家族に限らず、他者と共存共生していくのならば、会話・対話は大事よね。たとえ平行線だったとしても、話をすることに意義がある。

なんの変哲もないオチもない会話すら、できない人々増えてると感じるワタシなので、改めて考えましたよ。


ここ連日の観劇日和?、トリのアマヤドリ良い締めくくり?でした!!思い残すことは…あるな、疾走版 だいぶ心残りだよ…24日まで、、ちょいと頭をシボろう、、、もやもや





チラシ表がめっちゃ好み〜