ドラマ 春になったら の、瞳が父に言った言葉「私のために治療してよ」が、モヤッてるワタシです。
私のためにかぁ〜、父ちゃんのためでなくてかぁ〜、、、
てかね、何よりもね、瞳父はさ、瞳母が亡くなってから、瞳のために生きてきたと思うのよ。
父と娘は異性なわけで、理解がなかなか難しい中でさ、妻がいればと思ったことがあっただろうしさ、父 必死に瞳のために生きてきたと思うんだ。
なのに、最後まで「自分のために」って どうなのよ⁇ 父のやりたいように、やらせてあげたらいいじゃないよ。
父はさ、瞳が十分自立できると判断してのことだと思うんだよな。
治療しないという決断も大変なことだと思うんだよな。。
他人の家庭のことはわからんし、父娘の今までの歩みもわからんけれど、感情的に出てしまった言葉だとしても、父のこれまでの人生も人格も否定しているようで、モヤッとしてしまった。
家族ってやっぱ、どこか所有物みたいになってしまうんだろうか
家族というコミュニティの中で、"尊重する" とはどういったことなのかを、改めて考える言葉でもありました。。
最近気づいた
龍の方は見つかりそうで見つからない。。。