今クールのドラマ 風間公親-教場0- をみているワタシです。
教場シリーズは何気に前作もみてます。
教壇に立つ前のか〜と思いみてる次第です。
原作の小説は読んでません。
今回のドラマ、風間さんよりも犯人が殺意を抱く瞬間…状況等々それに関わることが印象的なのよね〜。誰にでもあるほんの些細な一瞬だったり、蓄積されたものだったり、犯人の中で静かに進行していく感じが、妙にリアルで頭に残るのよねー 風間さんと指導中の刑事が聞き取りしに行くと、犯人は冷静なのよね。コレも頭に残る。なぜにそんなにも冷静なのか、、肝が座りまくってるのかなんなのか、、、すんごい気になる。
しかも、殺人を犯してることを何とも思ってないのが、コワイ😱 気にしてないわけでないだろうけど、無しかみえないのよね。。
衝動的なものもあったけど、犯人は計画を立てて犯行してるのよね。でもやはり素人だから抜けがあってバレて捕まる。絶対はないのに、絶対と思っちゃうんだろうな、、計画立てるなら先のことを考えたらよいのに。。
守りたい!という思いから犯す殺人、、なんという矛盾なのか。
残される人のことを考えたら…と思ってしまうのだけど、ソコもマヒしちゃうのかな。務所から出るのを待っててなんてのもあったけど、なんだか犯人のエゴにみえたな。
被害者から加害者になってしまうというのはさ、相当な覚悟がいると思うのよ。その覚悟にはさ、犯した先もあるはずなのよ。
なぜなら、憎い加害者と同レベル、もしくは ソレ以下レベルになるわけだから。自分がそうなるということは、守りたい人も同じになるわけよ。
守りたい!と犯す殺人は、結局のところ自己満足にすぎないんだろうな、、なんだか虚しいな。。なんてことも考えるドラマなのよねー
散歩中に出会った〜