大学受験に真剣に取り組まずいわゆるシュッパイした時までプライドが高い子供だった。


小さい村ではほとんどテストも一番で検定も高いの取って公文も先生に褒められるためにやってきた。

プライドと承認欲求と時々惰性のためにやってきた気がする。自分の成長のためにやってきたのではない気がする。
と今思うけども、小さい頃から勉強は自分を伸ばすためにするものであると自覚して勉強する子はそんなにいないんだろう。

ただ褒められるために、がっかりされないよっにいい大学にも行こうとしてたんだろう。
けど高校になってから全力を尽くす、ということができなくなった。自分が驚くほどに。
そのまま受験に突入し何も考えず落ちて、一念発起して高いとこを目指そうとして勉強せず落ちた。
今は前の自分では納得できないだろう大学に入った。

でも今のところ後悔してはない。
このおかげで今までのいらないプライドをへしおることができた。あのまま社会にでて勉強はできるのにって貫いてくのも考えものだったのかもしれない。

受験に関して一般でいえば太宰の言葉を借りればシュッパイしたかもしれないが、もとからここに来るためのただの過程だったのだと思う。

運命は決まってるのだと思う。運命を変えたと思っても、それも運命なのだと思うのだ。
来るべくして会うべくしてここにいるんだと思う。

だからこれからもそうなんだと思えば、今丁寧に、食べたいもの食べて、会いたい人に会って、読みたい本読んで、生きていけたらと思うなあ。