病床の親父の意識は、はっきりしていた。ぼくやおふくろに、一生懸命語りかけてくる。

とはいえ、酸素マスクをつけており、そのうえ、痰がつまっているためか、言葉自体が、なかなか聞き取れない。聞き返すと、必死になって伝えようと、マスクをとってしまうのだ。

「い、いいよ・・・無理しないで!こっちが質問するからイエスかノーかを教えて!」

顔を近づけて、ふたりで、必死に会話する。

 見舞いに来てくれたお礼に始まり、主治医がなんて言っていたかを確認したり、税金の支払いを心配したりと、いろんな細かなことまで、気になっている様子。几帳面な性格は相変わらずだと、納得し、すべてに、きちんと対応することにした。

 呼吸ができない苦しみは計り知れない。ひんぱんに痰を取り除いてもらいながらも、生き抜くことをあきらめてはいない。こちらも寝ずの看病だ・・・。

 東京から駆けつけた弟も加わり、三人で必死に親父に語りかける。

 頑張れ!という声援が、次第に感謝の言葉に変わっていく。

 ・・・こんなに頑張っている親父に対し、これ以上何を頑張れというのか。

 そして、こんな厳しい状況の中で、なおも、自分たち家族のことを一番気にかけてくれている親父。

 ただただ、感謝の気持ちが言葉となった・・・

 「ありがとう・・・本当にありがとう・・・」

 おふくろも弟もぼくも、ただただ、そう伝えた・・・何度も・・・何度も・・・。

 以前も書いたが、「聴く」という字は、分解すると、耳に目と心をプラスすると読める。

 「言葉にならない声」を、耳だけではなく、目と心を合わせて聴き取ること。このことがいかに大切かを、病床の親父との会話を通じて、実感した。

 最期まで、いろいろなことを教えてくれた親父だった。(続く・・・)