書物における

真書か偽書かという

真偽判定論争を

真に受けてはいけません。

何故なら、

そういう論争は

第三者が

「で?」

「そんなの知らねーよ!」

「そんなの興味無い」

「そんなの見たくも聞きたくもないわ!」

で一蹴したら、

一瞬で吹き飛んでしまうようなものだからです。

それと、そういった書物以外の物事は

この世の中には多すぎる位存在しますし、

第一、世界は広すぎる位広いです。

何故、こういった当たり前の事実を無視して、

わざわざその書物に

執着する必要があるのでしょうか。

確かにその書物には

何らかの価値があるのかもしれません。

その価値がかけがえのないものかもしれません。

ですがその書物に限らず、

価値がある物事が

この世の中には多く存在するわけです。

そういう物事を無視して、

その書物の価値だけに

執着するのは非常に愚かだと思います。

真偽論争を真に受けるのは

学会、学者、マスコミ、裏社会、スピリチュアリスト、

占い師、新興宗教、オカルティストなどといった

「お金儲け」をしたい人々や

彼らに影響された人々です。

彼らの主張を真に受けない方が良いです。

 

翻って

ヲシテ文献の話ですが、

ヲシテ文献は

学会では偽書と判断されています。

ですから世間一般では

ヲシテ文献は相手にされていません。

ですが

そして

ヲシテ文献の研究者は

必死に真書証明を行おうとしています。

こういった証明においては

明確な根拠、明確な論拠が

絶対に必要です。

真書であれば、

真書であるという

お墨付き、認定、権威が貰えます。

真書だと認定された方が

偽書だと認定されている状態よりも

遥かに売り上げが多く、

お金儲けがしやすいです。

だから真書か偽書かに

異常に執着するのでしょう。

また、

一部のスピリチュアリスト、占い師、

新興宗教、オカルティストが

ヲシテ文献を彼らの商売に

悪用しています。

これも結局は

「お金儲け」の為でしょう。

 

私はそういった現状に対して

ここで以下の提案をします。

「ヲシテ文献が真書か偽書かという論争は

今後一切止めましょう。

何故ならヲシテ文献が真書でも偽書でも

ヲシテ文献の原文は

捏造、改変、変更されなければ、

真書か偽書かという論争に関係無く、

厳然として存在するからです。

ヲシテ文献の原文が存在しなければ、

研究することは出来ません。

研究対象が

仮定の形であっても、

存在していなければ、

研究することが

絶対に出来ないのですから。」

「ヲシテ文献で

過度の商売をするのは

やめましょう。

そして

ヲシテ文献の保存に力を入れて

個人で楽しみましょう。」

 

ここで言っているのは

何もヲシテ文献だけに

限りません。

あらゆる分野の物事に言えます。

 

私は

この余りにも酷い現状に

憤りを覚えていますが、

だからといって、

ヲシテ文献研究者のように

ヲシテ文献が真書であると

ごり押しするつもりも

学会の学者たちのように

ヲシテ文献が偽書であると

ごり押しするつもりも

全くありません。

とにかく

文献の保存と伝承に

注力すべきです。