今年は年女の私。
私は自分の干支、寅年🐯であることをとても気に入っている。
だってかっこいいし強い。
そして今年はノリノリだぜー♪という気持ちでいる。
そんな私が年始に掲げた目標の一文字は「余」
余白、余剰、余暇、余分、余生、余談、余計(これはあまり響きが良くないけど入れてあげよう)、余財、、、
とにかく余らせちゃおうぜという魂胆
今まで私が掲げてきた一文字は「跳」とか「翔」とか「動」とか動的なものが多かった。
今年は完全に、余らせていこうと思う。
何してた時だか忘れたけど、”余らせる”という概念が降ってきた。
今年の私は仕事もセーブしている。
フリーランスの身分でセーブして良いのかは三次元的には悩ましい話だが、
私の心がGoと言ってるから間違いなく、セーブすべきなんだと思う。
1日の仕事を約3時間にした。
そうすると気持ちがとても楽。
3時間の仕事を倍の6時間でやったって良いというゆとり。
今までの私の仕事ぶりは、最高のパフォーマンスを出すために仕事以外のことは蓋をして見ないようにして暮らしてたように思う。
でも今は「会社にコミットしてるのは3時間分だもんねー」ってな具合で、3時間分のプロの仕事を納品するために、実際はもっと長く働くんだけど、長く働いたって余裕がある設計にしているから、心がものすごく楽![]()
・今日はお昼まで寝てよう。
・お昼寝しちゃおう。
・朝からお風呂入っちゃおう。
・午後漫画読んじゃおう。
・友達とロングランチしちゃおう。
・サウナいっちゃおう。
とかしている。
そういう暮らしを今月から始めていて、
そうしたら世の中が見えるようになってきた。
「実際はずっとそこにあったもの」に目が向くようになってきた。
すごく不思議。
例えば毎回通ってる美容院のレジの近くに鹿の剥製があった。それに今回初めて気づく。。![]()
あとは実家に飾ってある、おばあちゃんの書いた掛け軸
「我が子らよ、分を相した職場にて力一杯相撲とれ」に書かれた日付が気になり始める
そこに40年くらい飾ってあるのに、今気になり始めた。
今までは少しの余分も許さず、とにかくハイパフォーマンスでいることを選んできたんだと思う。
そのために目隠しをして、息を止めて生きてた。
今年はその目隠しを外し、多少ローパフォーマンスにして、とにかく情報を受信する期間にあて(というのも、今までの出力の期間が長くて濃すぎた)、生活自体(衣食住)を大事にする。
今までそれをやらなかったのは、とにかく自分が優秀であるということを周りに知らしめたかったから。
なぜそこまで優秀であるという評価にこだわってたのか?
親にそう押し付けられたわけでもない。
きっかけとして1つ思いつくのが若かりしころ、上司に褒められたこと。
「君みたいに100%を目指し、100%の努力をできる人っていうのはそうはいない」的なことを言ってもらってとても嬉しかった。
それが私の誇りとなり呪縛となり、私を作ってきたんだな。と思う。
その上司とはいまだにとても仲が良い。きっとその人は私の人生に必要な学びをくれる役割の人。
私の強み、それは私を破壊するものにもなり得る。
今度あったら、その話をしようと思う。
貧乏性ゆえ、余ってると気になっちゃう。
今回引っ越すが、部屋を一つ余らせている。
まずまずのスタートではないか。