自由とは制圧 ~なんちゃって可愛いをやめる | ダイエッたん⁺書記記 ⁺しょきき

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ふつつか者のblogですがよろしくお願いします

 

私は子どもの頃からなにかと孤立しがちで、

今もまるで社会に馴染むほうかと言うと全くそのままの傾向です。

 

 

自由になりたい

と思っている人は、気が付いているという点で優位にあって

いまは街中でも、(主に女性の)そういう広告も目立つようになりました

 

 
 

 

 

世の中には縛られている人がとても多くて

そこから抜け出すのは意外に、骨が折れるかも

 

自由に威圧や、誇示は必要ありません

自分はこんなに凄い、こんなものを持ってると

言っている人は自由とは、ほど遠い。それがなければ生きていけないからね

美でも、格でも立場でも同様で、私もおそれていたことがありました

 

 

強者だけでなく弱者も同じで、自分の‘札‘は、アイデンティティでもなければアドバンテージでもなく

つまるところ自分‘がなければ、制圧することができない

 

 

制圧、というと威圧的な感じがあるかも知れないけれど、

すべてのカードを押さえた、という感覚に近く

=つまりそれがなくても生きていける‘ということになります。

 

なんちゃって美しが通用するのは人生でも、途中まで。

結婚しても、年をとっても、それにつきまとわれることでしょう

 

 

 
 
 

 

 

自分を育てるのに何が一番良いかな?といま、すこし考えているのですが、

自分で選び、自分を保つ、ていうのがいいかもしれません、百戦錬磨なんていかないけど、いつも「自分にしては上出来!」という感覚があること。

どんなにそやされようと、そういう人にはなかなか勝てません。制圧するのは自分への誇り

 

 

小さきものはみなうつくし、私がたまに、聞いた言葉でしたが、(みな、かわい(可愛い)だと思ってた)

派手派手しさを追い求めるのではなく

自分の中の、約束を果たしたら自分に、美しくなれるのかもとちょっと思ってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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