私は子どもの頃からなにかと孤立しがちで、
今もまるで社会に馴染むほうかと言うと全くそのままの傾向です。
自由になりたい
と思っている人は、気が付いているという点で優位にあって
いまは街中でも、(主に女性の)そういう広告も目立つようになりました
世の中には縛られている人がとても多くて
そこから抜け出すのは意外に、骨が折れるかも
自由に威圧や、誇示は必要ありません
自分はこんなに凄い、こんなものを持ってると
言っている人は自由とは、ほど遠い。それがなければ生きていけないからね
美でも、格でも立場でも同様で、私もおそれていたことがありました
強者だけでなく弱者も同じで、自分の‘札‘は、アイデンティティでもなければアドバンテージでもなく
つまるところ自分‘がなければ、制圧することができない
制圧、というと威圧的な感じがあるかも知れないけれど、
すべてのカードを押さえた、という感覚に近く
=つまりそれがなくても生きていける‘ということになります。
なんちゃって美しが通用するのは人生でも、途中まで。
結婚しても、年をとっても、それにつきまとわれることでしょう
自分を育てるのに何が一番良いかな?といま、すこし考えているのですが、
自分で選び、自分を保つ、ていうのがいいかもしれません、百戦錬磨なんていかないけど、いつも「自分にしては上出来!」という感覚があること。
どんなにそやされようと、そういう人にはなかなか勝てません。制圧するのは自分への誇り
小さきものはみなうつくし、私がたまに、聞いた言葉でしたが、(みな、かわい(可愛い)だと思ってた)
派手派手しさを追い求めるのではなく
自分の中の、約束を果たしたら自分に、美しくなれるのかもとちょっと思ってしまった
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