ジダン事件の当該両者が、世界一の対抗心のもとにあったことは確かである。
試合経過と後半終了10分か5分目絵か、時限的状況で押し迫っていた。
マークするマークされるのでいらだっている。
つまりはサッカーという協議の性格上、一触即発の状態だった。
ジダンは札付きの暴力行為の(競技場だが)常習者でしょう。
最後のp試合で、性懲りもなく悪い面を出してしまった。
ここで最後の有終の美を見せてもらいたかったのに、
不愉快な、個人の喧嘩を世界に広めてどうしますか。
伊仏戦争でもやったらフランスは水爆を保有しているしね。
ジダン選手が、人権問題、差別国際問題、に取り組むとでも言う宇野で消化。
ローマ帝国の偉業はあるが、近代植民地ではフランスが大きいでしょう。
ジダンはイスラム教徒、イタリアはカトリックだから、行動倫理も違うわけです。
(:某サイトで知った。イスラムは侮辱に反撃する)
暴力容認は危険である。言葉の暴力とは次元が違う。
スポーツで起こったことは、警察沙汰にならないのでしょうか。
さて、家族を侮辱したというが、面と向かって侮辱していないし、
イタリア選手が会ったことも、何らかの情報も持っていたのだろうか。
ジダンは、家族のために頭突きをしたのだろうか、
試合に勝つために頭突きをしてしまったのではないのか。
イタリア選手が死んでいたら殺人罪ではないのか。
サッカーなんて、廃止すべきではないか。