思い返してみれば、「特技は何?」と訊かれて、特に思いつくところはなかったのですが。
敢えてひとつ上げるのならば、料理は得意なほうなのではないかと思う。
それこそ大体オーブンが使えなかったり、ホワイトソース等の面倒くさいものは作れなかったりとかするんだけれど、でも例えば冷蔵庫を開けてその時ある余り物だけでちょこちょこっと何かを作ったり。
みんなで酒を飲んでいるときに誰かが「お腹すいた」と言えば文句いいながらもなにか作ってあげたり。
料理を作って、「いいお嫁さんになるね。」とか、「けんちゃんは胃袋で男を捕まえるのがいいね。」という褒め言葉をもらったことが、思い返してみれば幾度かある。
とびきり美味しい料理は作れないけれど、それでもまずい料理は作ったことは、思い返す限り、ない。
「料理を作るからおいでよ。」と人をうちに呼ぶとき、よくありがちな「男の料理」をすることはあまりない。
「男の料理」とは、手の凝った、材料費のかかった、時間と手間のかかる一品料理のことである。
「おれ、料理する」と言い放つ男は大抵これをつくるこが多いというのは、角田光代のエッセイを読んでなるほど、と思った。
「付け合せ」だとかの発想自体が欠落している、普段料理をしない「男の料理」は時間をたっぷりかけて調理するため、一品だけが出来上がることが多く、大変みすぼらしいという内容のエッセイだったと思う。
自分はちゃんとサラダとスープ、前菜くらいは考えてメインを作る。
頭のなかでちゃんと限られた鍋やフライパンやボウルを使いまわして、何品か限られた時間の中で作り上げる。
そういえばこのあいだ来ていた妹がよく「男の料理」をやってたなあ…。
けれど、更に嫌味なことを書くようだけれど、でも、特技と趣味は同義ではない。
自分にとって料理は得意でおいしいものをつくることはできるけれど、でも料理という作業は好きではない。
できることならばやりたくない。
毎日外食できる余裕があるならば、迷わずそうする。
この特技は、ただただ毎日生活するに当たって得るべくして得た技術でしかないのだろう。
なのに、自分はこの料理で恋愛に失敗することが多い。
ゲイのアメリカ人は、料理の好きな男性が好きではないのかもしれない。
まず、自分はデートの相手やちょっと気のある男性などとある程度親密になると、自分は「今度料理をつくってあげるね。」という。
これは、本当は外食に連れ出してあげたいけれどおごるお金もないので、仕方がなくの判断でしかない。
色々考える。
和食か、洋食か。
煮物全般はアメリカ人にはまず受けが悪いので、省く。
この時点での大皿はタブーだ。
魚か、肉かはその人の感じによる。
外れのないサラダは、ツナか、チキンか。
ドリカムの「あなたにサラダ」を真に受けて、本当に切って盛っただけのサラダなんて万が一でもテーブルに並べてはならない。
ドレッシングは洋風か和風かでまた随分と違ってくる。
メインと、サラダくらいまで決まると、あと一品ないとみすぼらしい。
マグロのたたき、ハマグリの酒蒸、シュリンプカクテル、チーズクラッカー。
手際よく前菜、サラダ、メインと、彼が到着するくらいに全て温かく出来たてで仕上げ、それをテーブルにならべる。
ところが、アメリカ人は、なぜかこれに引く。
もしくは、感動が薄い。
本当はあんまりおいしくないのかしら、っていう疑問は置いておいて。
大体がでぶのくせにあんまり食べてくれない。
全ての料理に一口ずつ口をつけ、あとはもう、食べてくれない。
「まずい」とはいわれたことはない。
みんな、「美味しい」と褒めるのに、「是非今度また作ってくれ」とは、誰も言ってくれない。
日本人の友達は、「またこの間の作って。」とか、「この間の料理の作り方教えて。」とか言ってくれるのに、料理に関することはなにも触れてくれない。
「すごい量だね。」
と、いうくらい。
がんばったのがこの料理にみえみえなのではないか。
大体、アメリカ人男性は典型的「男の料理」しか行わないことが多く、しかも、オーブンばかりを多用する。
若しくは、パスタを茹でる。
二品以上作った人をみたことはない。
この日本のちょっと贅沢な家庭料理的外観の料理は、なぜか男性を怖がらせるのではないか。
胃で男を掴め作戦の機密が流出しているのではないか。
いきなり、こんなずらー、っと料理を並べる人に疑いを持っているのではないか。
10年のアメリカ生活でそんなことを思っていたので、今日のデートでは、わざと「男の料理」を決行しました。
煮込みハンバーグ、一品。
スーパーで売っている、サラダやチーズを買いたいのをぐっとこらえ、一品だけ。
手間はかかるけれど、「料理、作ったのよ!」感をあまり出さない、それでいて皿一枚でアメリカ人にもおいしく食べられる料理。
なのに、彼は、「おいしいね。」って言って、出したものを食べただけでした。
…。
彼がシェフだからか。
「夜はあんまり食べないんだけど、でも、本当に美味しかった。」という感想は、あまりにも万事オーバーリアクションの外人からだと余計信じられず、嘘っぽい。
ねえ、なんで。
本当にアメリカ人は料理を美味しいとは思ってくれないのか。
さて。
ってなことで、今日料理してあげたひとと、前回のブログで書いた人は一緒です。
前回のブログで触れたデートは3日前で、今日もまたうちでデートでした。
チェコ人、28歳(1つ年下!)、185センチ、ブロンド、ブルーアイズ。
ゲイポルノがよく撮影される、東欧だわー。
正直。
今まで自分が付き合ったり、デートしたり、なにかのお付き合いがあった人々の中で、一番イケメンです。
自分の今までの「好み」から大きく外れて、一般受けまっしぐら。
多分、これから彼をなんらかで誰か自分の友達に紹介する機会があったら、みんな彼がイケメンだと認めるであろうイケメンです。
っていうか、この人、なにがよくてうちに来てるんだろう…、って思います。
世の中に生まれた限りは、少なくとも自分は、一度はこういう人とセックスしてみたい、と考えていた類の、イケメンです。
全部素晴らしい。
ヨーロッパ人らしい洗練された感じも、泳ぎが得意な贅肉のない引き締まった身体も、切れ長なブルーアイズも。
だまされているんじゃないか、と思います。
こんなイケメンに肩を抱かれて映画をみる日がやってくるとは、本当に、想像もしてなかった。
彼に抱かれたり、ばかやって笑ったり、彼がご飯食べてるのを見ながら、自分は先週振られたちびではげたアメリカ人のことを考えています。
チェコ人の水泳体型の広い胸に顔を押し付けて、ジムで鍛えていた厚みのあるアメリカ人の胸を思い出しています。
会いたい。
「もう会わない。」なんて、いうんじゃなかった、って思いながらも、でも、言ってよかったんだとも思う。
だって、いままで長い間も、こうやって、そうやって、乗り越えてきたから。
今回が人生最大の失恋だなんて思わないし。
どっかでね、やっぱりね、男はアクセサリーとか、そういう風に思ってたりもするわけよ。
チェコ人の彼は正にそれで、もう「この人と付き合ってまーす!!」ってみんなに言って、羨ましがれたいのよ。
もう、人生でこんなイケメンとやるような期間、訪れなさそうだし。
もう、友達も、知らない人も、だれも、かれもから、「えー、この人となんてうらやましい!」って言って欲しいのよ。
自分はね、そういうのを求めてたわけよ。
ゲーム、程度に。
でも、それを手に入れながら、自分は、なぜか、あのアメリカ人のことを思う。
朝も、昼も、晩も。
彼は新しく好きになった男の人とうまく行ったのか、彼と二人で出掛けたバーに行けば偶然を装って会えるんじゃないか。
あの時、電話しなければ。
あの時、メールをしなければ。
「追いかけられると逃げたくなる、逃げられると追いたくなる」は結果論であって、「追いかけられてる」とか、「逃げられてる」とかの意識がその関係上で生まれた時点で、何らかの問題が生じているんだろうね。
既に。
その時点でイコールでは、なくなってしまっているんだろうね。
そういう意味では、もう自分とアメリカ人の彼とは初めて出会って一週間で問題があったんだと。
つまりは最初から100%の片思いでしかなくて、彼との思いが重なることなんて一度もなかったんだと。
逃げられたのでも、追いかけたのでもなくて、それはそういう意識がお互いにあっただけなのだと。
例えば、チェコ人の彼。
こんなイケメンの彼なのに、自分は今、追いかけてるとか、逃げられてるとか、追いかけられてるとか、そういう意識が全然生まれない。
ちょうどいいタイミングでメールをして、ちょうどいいタイミングで手を繋いで、映画をみて、ワインをみて、セックスして、ちょうどいい長さで彼はうちに長居するようになっている。
ちょうどいいくらいに自分は彼の好みや、考えていることや、どうでもいいことなんかを知っていく。
なんか、わかる。
ちょうどいいくらいに彼は自分を好いていて、自分もちょうどいいくらいに彼を好いている。
追いかけたり、逃げたりはしない。
そういう意識がどちらかに生まれた時点で、どちらかがどちらかの立場になるのでしょう。
だから、今は、ものすごく、いい関係であるのに、それは自分が彼の膝に絡まりながら、アメリカ人のことを思っているからなようにも感じる。
そこでできたちょっとした余裕が、今の自分とチェコとの関係をよくしているのかもしれないような。
チェコと会えば会うほど、アメリカ人を恋しく思う。
イケメンを眺めながら、どこかで元気にしているだろう(まだ一週間ちょっとだし)アメリカ人を思っている。
あのひとが、ここにいたら、ぜんぶいらないのに、
と思いつめるくらいに。
なんて。
でも、どこかで、そんなこんなでチェコとうまいこと事がすすんで、自分もアメリカ人を忘れて、本当にチェコのことを好きになって、そうしてみんなにチェコを紹介できたらいいのに、とひそかに思ったりもしています。
そう、それこそが幸せなのに。
多分よ、多分。