菅首相の想定    ― A.A. | ワールドフォーラム・レポート

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ホーペルモ効果
鳩山首相が退陣し菅政権が発足した。菅政権で注目されるのは、やはり経済・財政政策であろう。菅首相は、経済の再生と財政の再建を同時に達成できると想定している。そのようなことが本当に可能なのか、今週はこれを検証する。


筆者が関心を持ったのは、菅首相の「仮に増税を行っても、その増税額と同額で政府支出を増やせば、全体では需要が増え経済成長が可能」というセリフである。話を進める前に菅首相の増税の中味についてコメントする。世間の常識的では消費税ということになろう。財務省の意向も消費税増税ということははっきりしている。しかし菅首相のブレーンとされている経済学者は、所得税の増税を主張していると聞く。

増税を行いそれをそっくり財政支出した場合、はたして全体では需要が増え、本当に経済が成長するかが問題である。筆者の結論から申せば、程度の問題を別にして「イエス」ということになる。この根拠を初歩的な経済学で説明する。


菅首相が念頭に置いているのは乗数効果である。仮に新たな政府支出を1兆円とすると、その1兆円の需要と同額の所得が発生する。もし消費性向(正確には限界消費性向)を0.6として、この1兆円の所得はさらに6,000億円の需要と所得を生む。さらにこの6.000億円の所得は0.6倍である3,600億円の需要と所得を生む。このように新たな政府支出1兆円は、次々と需要と所得を生む。

追加的な新たな政府支出の1兆円が生む需要と所得の連鎖の合計は、無限等比級数の和ということになる。公式では乗数値は1/(1-c)であり、cは消費性向である。消費性向を0.6とすれば、乗数値は2.5になり、1兆円の政府支出は2.5兆円の需要と所得を生むことになる。

所得税減税にも乗数効果が認められる。ただし消費性向が0.6ならば、最初の減税額の40%は貯蓄に回ることになる。この無限等比級数の和はc/(1-c)になる。つまり同様に消費性向が0.6ならば、減税の乗数値は1.5になる。景気対策で公共投資などの政府支出の方が、所得税減税より効果が大きいと言われるのも、このように両者の乗数値に違いがあるからである。


では政府支出と同額の所得税増税を同時に行った場合の効果はどうなるかである。増税は減税と正反対の効果を生む。したがって政府支出の1/(1-c)のプラスと、増税によるc/(1-c)のマイナスということになる。両者の合計は{1/(1-c)}-{c/(1-c)}=(1-c)/(1-c)=1となる。

つまり増税を1兆円行いそれをそっくり政府支出すれば、差額の乗数値は1であるから、1兆円の需要と所得が増える計算になる。面白いのは消費性向のcがどのような値でも、差額の乗数値は1になる。筆者の記憶が正しければ、たしかこれをホーペルモ効果と呼ぶはずである。



消費税増税の影響
前段はあくまでも机上の計算であるが、一つの重要な事柄を証明している。増税と政府支出増大を同額で行うということは、政府を大きくすることである。つまり大きな政府にする方が需要と所得が増えるのである。

一頃、小さな政府論者は、無駄な公共投資を止め、その分の減税を行うことで経済が成長するといういい加減なことを言っていた。マスコミや世間もこの虚言・妄言をもて囃していた。デフレ経済の今日でも、これが選挙民に受けると思っている間抜けな政党がいまだに「小さな政府」を叫んでいる。しかし経済理論上、これはデフレ政策そのものである。


ただ前段の議論は机上の話で、現実の世界では修正が必要である。例えば公共投資の支出がなされた場合、全額が乗数効果の連鎖を生むとは限らない。公共投資を請け負ったゼネコンが、発注金額の一部を借入金の返済に充てたり、内部留保に回すことが考えられる。これらは乗数効果の連鎖から漏洩するため、実際の乗数値はそれだけ小さくなる。またどの所得層を対象に所得税の増税を行うかによって、限界消費性向の値も微妙に変わり、増税の乗数値も変わる。

また公共投資による収入で生活している人々の貯蓄性向が小さく、消費性向が大きいことが考えられる。この場合には乗数値が押し上げられることも考えられる。このように現実の乗数値は机上の計算と少し異なることは有り得る。しかし大きな政府の方が、需要と所得を増やすという事実は変わらないと考える。


次は増税が消費税の場合である。しかし筆者は消費税増税の影響を理論的に説明したものを見たことがない。たしかにシミュレーションモデルで消費税増税の影響を分析したものはいくつかある。しかしこのようなシミュレーションは前提条件の置き方によって結果が変わってくる。つまり誰のシミュレーションモデルが実態に近いか判断が難しい。

特に消費税は政治的な思惑を持った人々に翻弄されている。研究者自体がイデオロギーに染まっている場合が多く、単純に研究結果を鵜呑みにするわけには行かない。仕方がないので筆者なりの強引な仮定を置いたモデルで証明する他はないと考える。


消費税増税分を政府支出でそっくり給付するケースを考える。まず国民を貯蓄のある層(貯蓄層)と貯蓄をせず収入を全て消費する層(全額消費層)に分ける。そして給付する対象者を全額消費層に絞るのである。前段と同じように消費性向を0.6とすれば、やはり政府支出(給付金)の乗数値は2.5になる。

一方、貯蓄層は、増税があっても消費水準をある程度保とうと貯蓄を取崩す(収入からの貯蓄を減らすケースも含む)ことになる。たしかに貯蓄層の実質の消費が多少減るケース(例えば5%の増税に対して3%しか消費額を増やさない場合など)が考えられる。しかし全額消費層の消費増がそれを上回ると考えられる。したがって全体では消費は増えるはずである。これを貯蓄層の貯蓄を全額消費層の人々が消費に回す形になるからと理解しても良い。

ただ消費税が増税されても貯蓄層の人々が貯蓄をあまり取崩さなかったり(消費水準を落とすことによって)、全額消費層の人々が給付金の一部を貯蓄に回したりすると、この需要増大政策の効果はそれだけ小さくなる。また現実を考えると、全額消費層にピンポイントで給付金を支給することが難しい。出来るとしたならせいぜい比較的消費性向が高い層、例えば低所得者への財政支出を多くすることぐらいであろう。ともあれ菅首相の「仮に増税(所得税であろうと消費税であろうと)を行っても、その増税額と同額で政府支出を増やせば、全体では需要が増え経済成長が可能」というセリフは理論上一応正しいと言える。


しかしその需要増の金額は決して大きくない。巨大な日本のデフレギャップを考えると、その効果は無に等しいと言える。筆者はこの程度の政策をデフレ対策とはとても考えない。政治家は12年連続で自殺者が3万人を超えているような危機的な日本の状況を甘く見ている。




参議院選挙も近いので、来週は各党の政策を眺めてみる。


           ― 経済コラムマガジン 10/6/21(620号)より転載 
            
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