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インドアでロウな生活

おこがましくもにがにがしく思うこと


人の命に責任を持つこと

お互い生の人間ならば、そんな重たいことできません。

命を助けるとか助けられるとか

おこがましくって語ることなんかできません。


見舞いに行った病院で、

びっくりしたという感覚でしょうか。

おそらく死期が近いのでしょう。

若い看護師さんが、

「先生、かわいそうだから楽にしてあげて。」


この言葉、断片だけですが、すごくないですか?


まだ若そうな先生は苦い顔をして、黙っていました。

私は、彼の表情をみて、安心しました。


誰が、誰の命を決めるのでしょう?

無理です。人には決められません。

無理に決めるなら、自殺か他殺になってしまいます。

それが一番にがにがしく思う理由です。


あとは、

確かに苦しいかもしれません。

もう死んでしまいたいと思っているかもしれません。

でも、ほかの人が「かわいそう」とか

言ってはいけません。

そんなのおこがましいです。

勝手に代弁してはいけません。

しゃべれない人の死の際の気持ちなぞ

重すぎて、ほかの人が代弁などできません。


死の際にいるその人に、意識があるなら、

できるだけその言葉に沿うように。

でも、語ることができないなら、

その姿をありのままに。

せめてその人の大事な人達が

必要以上に傷つかないように。


おそらく空論でしょう。

現実を知らぬ空論でしょう。


それでも思うのです。


人は本質的には孤独で、

だから家族や友人や恋人が温か過ぎる。

孤独でいるとき、その人のありのままの時。

その人のそのかけがえのない時間に、

水を差してほしくないなと思います。


これは、私の独りよがりでしょうか?

答えはおのおのが持ちます。

こういう問題はそういうもんだと思います。