「 雨はシトシト 風の街静かに揺らす
寂しがり屋の世界が孤独を呼んだ
儚げな景色を押しつけながら
私を待ち伏せて道連れにさせようとするのね
雨の街は笑顔を嫌う。
振り向く日々を連れてきて
忘れかけてた涙の種を心の隅から芽生えさせるだろう
涙ヒラヒラ 酔いしれているのかしら?と
言葉投げかけて独りで微笑むけれど
意地悪な世界が私を誘い出す
君はかわいそうだって
不意に抱きしめようとするから
雨の街が私は嫌い
いつも張りつめたままで
ごまかして来た迷子の心をくすぐるような仕草をするから
だけど今日も終わりを告げる
晴れていく訳じゃないけど
眠りに就けばこの時間さえも過ぎゆくスピードに
思い出になるだろう
冷めた紅茶に口を付けて いつの間にだか私の横に忍ぶ影法師
雨の街が私は嫌い
いつも張りつめたままで
閉じこめてきた迷子の心をくすぐるような仕草をするから
曇り窓が視界をずらす
独り置き去りのままで 世界は廻る
明日になればあの日の景色も忘れるだろうけど
雨はいらないわ
雨はいらないわ
雨はいらないわ
雨など見たくないわ 」 さみしがり屋の言葉達/安藤裕子
作詞 : 安藤裕子 作曲 : 宮川弾
もしも
雨が
好きになれたら
この世界に
10分の3くらいは
喜びが増えるだろうか・・
安藤裕子さんって
以前から名前はよく目にしていたけど
曲をしっかり聴いたのは実は最近のことでした
こういった雰囲気の方なんですね
惹き込まれるのは分かる気がします
今の気分は
まさにこの曲の感じ?で・・
柔らかなものが次々と現れては消え
現れては消え...
悲しみとも喜びとも違う
どこか
遠く懐かしいもの...
(・・なんじゃそら)
だけどそんな感じにしか表現ができない
今の心境・・
こんな心がつづけばと思うけど
明日になれば
また
明日の顔になる
過ぎ去る日々を
尊ぶのは
現在(いま)か、それとも
過去の自分か
どんな理屈をならべても
今を生きる私たちの輝きに勝る瞬間は
どこを探してもない
それは誰もが
今を掴むことは決してできないから
掴めないものほど
手に入れられないものほど
輝きは増してゆくのだろう
それでも私たちは
きっと辿り着けると信じて
目を瞑り 夢を見る
儚さに揺れるのは
遠い記憶か
それとも
目の前にある
おぼろげな景色か
文字や言葉では完成されない
この街の景色
変わりつづける
この心...
時や
景色が
どんなに私を包んでいっても
私は
私でしかないから
言葉にできない想いがめぐる時
本当の愛が生まれる
言葉にできないほど心が揺れる時
本当の自分を見つける
なんか・・ だらだらとすみません
掴みどころのないようなこんな気分なんです
実は、この記事のタイトル
初めは 「 空と君の間に 」 でした
「 空と君のあいだに 」
最近、何気なくふと聴いてしまっている曲で・・
「 君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる 」
分かるな・・
そこで大切な誰かが苦しんでいたなら
何でもしてしまうかもしれない・・
だけど
大切な誰かに
悪には絶対になってほしくはない
自分の死は受け入れられるけど
自分の為に流れる涙は
受け止めきれない・・
ちなみに↑のヒマワリの写真は
終戦の日の早朝(@スマホ)
思わず見とれてしまうほどの、ものすごい空でした
そんな時に限って一眼を忘れて来てるという 
夏の終り
どうしても私たちは、お盆が過ぎれば夏が終わるといったように
暦などに左右されてしまうところがありますが
それはそれでもちろん良いのですけど
今年の夏のようにいつもとは少し変わった夏の場合(雨で)
少しもったいないような気もしてしまいます
二十四節気も元々は中国が発祥なので
日本に合わせた場合、一ヶ月ぐらい早いと聞いたこともありますし
昔からあるもののおかげで
春夏秋冬を感じることが出来るのも素晴らしいことなんですけど
それぞれの春夏秋冬を
それぞれの時間で楽しんでいけるのが
一番かなとも思います
・・なんて言ってるから
夏休みの宿題をまとめてやるはめになる自分 
夏の夜
多くの家で目にしたバーベキューや花火をしている光景
きっとあの中では
とても早く時間が流れていて
けれど
遠くから眺める自分には
まるで止まっているかのような時の流れを感じる
今、きっと僕は
時の流れの中にいるのだろう
その流れを掴むには
先へと進むしかないのかもしれない
その時、僕は
何を想うのか・・・
雨の始まりは
静かに、突然に
雨の終りは
静かに、ゆっくりと
すべてをリセットしたかのような
雨上がりの空気
すべてを受け入れ
また歩き出せるような
雨上がりの匂い
涙ぐむほど
想い出に想いを馳せてもいいだろう
目が真っ赤になるまで
あの風景を思い出してもいいだろう
あの人のことを想ってみてもいいだろう...
気づけば
随分と時間が経っていた...
さみしがり屋は
今日も寂しさという温もりに抱かれて
冷たい雨の下で
暑い太陽の下で
真っ赤な夕陽の真ん中で・・・・・
" 小鳥がいて
黒猫の親子がいて
庭には犬がいて
夕方の買いものは
小鳥のための青菜と
猫のための小鯵と
犬のための肉と
それに
カレーライスを三杯もおかわりする
息子がいた
あのころの買い物籠の重かったこと!
いまは 籠も持たずに表通りに出て
パン一斤を求めて帰って来たりする
みんな時の向こうに流れ去ったのだ
パン一斤の軽さをかかえて
夕日の赤さに見とれている " 日々/高田敏子
1914年9月16日 - 1989年5月28日 日本 - 東京都 詩人
※この詩をどう感じるかは人によって違いがあると思いますが
高田さんは若い頃は大家族だったそうで
その後、お子さん達は独立し、旦那さんが亡くなられ
しばらく一人暮らしをされていたそうです
その落差に、寂しい思いをされていたといいます。
寂しい・・ 失ったものもある・・
だけど
失ったものがある・・
" 夕日の赤さに見とれている "
詩全体の言葉は後々に付け足されたものだと思いますが
この瞬間の高田さんご本人の心境というのは
走馬燈のようにゆっくりと自然にめぐるものだったのかな
なんて勝手に思ったりもします
正直、この一行だけでもよかったと思えるほど
様々なものが詰まっているように感じられるコトバですが
きっとこの詩の他の言葉たちは、高田さんにとって
説明をする為というよりも
自分で自分を包むための言葉だったのだと思います
戻りたい、けど、戻れないことは分かってる
真っ赤な夕日という現実に
何かを、期待しながら
何かを、諦めながら
そんな
帰り道だったのかな ・・なんて
考えているようで全く考えていない記事なので
ここまでしっかり見て下さった方ホントごめんなさい
夢の中の記事だと思って
忘れていただいて(笑)
今、久々に
おだやかな時間を過ごせているような気がしますけど
自分も危険を感じるほどですが
この夏、大雨に暑さに車の運転などに
ほんとお気をつけください 
ps. ロビン・ウィリアムズ
一番好きな俳優さんでした
ご冥福をお祈りいたします
【 記憶の片隅 】
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