文責 ミカン
「電車の中でケータイを弄るような無駄な行為はしないで、読書をしなさい。その方がためになります」
これは予備校時代に漢文の先生から聞いた言葉です。彼の発言に5年前の私なら素直に肯いていたかもしれません。私自身、ケータイを電車内で使っている輩はどうせしょうもないゲームをしているか、暇つぶしのために他人とメールしているかのどっちかだろうと思っていましたから。
しかし、iPhoneが登場したことで私のこの考えは見事に壊されました。iPhoneは手のひらサイズの機械だけでいつでもネットワークとつながれる環境を我々に提供しました。もちろんそれまでの日本ケータイ(いわゆるガラケー)でもある種のネットワークとつながることが出来ました。しかし、それはワールドワイドなものではなく、日本という地域限定のローカルネットワークでした。そして、できることもが相当限られため、ケータイに関して前述したような偏見をもつ人々(私含め)が多くいたのだと思います。しかし、iPhoneはwww(ワールドワイドウェブ)との接続を可能にしました。これにより重たいパソコンを持たずとも、いつでも、電波さえあれば「どこでも」、片手で操作するだけで世界中のあらゆる情報と我々はつながることが出来るようになったのです。
この数字が何を意味するか分かるでしょうか?(これで分かる人は探偵か超能力者でしょう)これは私が5/28と5/29に調べた電車内でスマートフォン(以下スマフォ)を使っているひとの割合です。データ量が少ないので統計的にはまったく役に立ちませんが、みなさんも普段、電車の中でスマフォを使っている人を良く見かけると思うので、このデータだけでもスマフォを使っている人がどれだけ多いか十分納得してもらえると思っています。ところで、彼(彼女)らはいったい何をしているのでしょう?何をしているのか私には想像しか、いや想像すら出来ていないかもしれません。スマフォなら何でもできるからです。
世界的に有名なジャーナリスト、トーマス・フリードマンが2005年に発表した「フラット化する世界」という本の中に「競技場は均されている」という記述があり、世界中にいる「誰にでも」競争の機会があるといった意味合いで使われています。それに加え現在では世界中の「どこでも」、そして「いつでも」競争する機会があると言えます。電車内でスマフォを使用している人の中には暇つぶしのためにモバゲーに熱中している人もいれば、起業のためにアプリケーションの開発に力を注いでいるひともいるかもしれません。今やビジネスチャンスでさえ、どこでも掴むことが出来るのです。
今となっては「電車内でケータイを使う」という行為の中身が多様過ぎて、冒頭の予備校教師のように一括りにして一方的に批判するのは時代錯誤と言わざるを得ないでしょう。ケータイをいじっている人が、web上でロイター通信や日本経済新聞を読んでいたり、青空文庫で文学作品を読んでいても何ら不思議でない時代になっています。そして、スマートフォンが即座に世界とつながれるという観点から、近い将来、大人達(将来の私たち)はこのように言う時が来るかもしれません。
「電車内でスマートフォンの使わないなんて、なんて不真面目な若者なのだろう」と