私の性善説の人生の歩みの反省ということで、この記事を書いていきます。
これから、そのことを記事にしたいと思うのですが、なぜ、そう思い立ったのかを、まず最初に書きたいと思います。
こんなことを書いたら、私の最高に人格的に美しかった20代の頃の記事を含む、このブログが消えてしまうかも知れないと、懸念はしているのですが、しかし、そのように、全てのことを善でしか捉えない私の性善説上に成り立つ人生で、多くの社会が傷ついてきたことも事実で、私がこの世の中に多大な貢献をしてきた反面、その社会性の偏りが、多くの方の生きにくさを感じる社会を作っている原因にもなっていることを、今さら気がつき、であれば、私はその責任を持って、性善説の人生のあり方一筋で、その解決を図ろうと考査した次第です。
もう、私は34年の人生を、全て性善説で生きている訳ですから、今さらに、何を変えようということは無理です。
しかし、もしも、私の今までの性善説の人生が与える社会の影響が誤解して、この社会で人生を歩むことにおいて、自身が成りたくなかった自分像を作ってしまった方も一定の数あると認められまして、その反省として、これ以上、望まぬ自分像の人生にこの社会で生きる人々が陥らないように、そのことを、性善説上で成り立っている私自身の人生をかけて、誤解のある人生がこれからの社会で生まれないように、記事を作成したいと考査する次第です。
私がこれまで提唱してきた、トイレ掃除の指導や、この記事にたくさん書かれている精神論は、全て性善説から成り立つ、美しい人間になるためだけのものでした。
しかし、反対のことをすれば、たちまち、言葉は申し訳ないですが、汚い自分像を作っていくことになり、他者からはそういったように自分像を見られてしまいます。
実際には、芸能人の自殺まで可能性のある、私の性善説が社会に与える最悪なケースもあったと考査出来ます。
それは、本来、人間の行いというのは、心理的に自身がなりたい自分像により、その行動化が決定される訳ですが、社会に多大な貢献を与えると同時に影響も与えた私自身の性善説が、他者にこれ以上誤解を与えて、この社会で生きる上で望まない自分像を作られないように、今後はこういったことを記事にしたいと思います。
つまり、私は性善説で人生が成り立っているので、例えば、お金持ちという副効果で宣伝をし、本当は性的に魅力になるためのトイレ掃除というのを皆様に提唱しましたが、実は、反対のことをやれば、性的に安く見られることも、性奴隷に見られることも、可能なのだということなのです。
昔からの日本語の言い伝えに「嘘つきは泥棒のはじまり」という有名な言葉がありますが、実は、ひとつの例えとしてトイレ掃除というのは、この言葉の本質を踏んだんに含んでいて、プライベートな個人空間だからこそ、そのトイレの扱い方で、その方の人格が徐々に形成されるというスピリットを持った話なのです。
色々と風水上、テクニックはありますが、掃除や部屋のデザインの基本は、全てトイレ掃除にあるといっても過言ではありません。
誰もが必要とする醜い空間を、どれだけ美しく出来るかが、その方の人格の美しさを決めるのです。
つまり、仕事が忙しく、たまたま、トイレ掃除が出来ない日があっても、それそのことは、一切マイナスになることはなく、風水のスピリットというのは、その方の日々の行いということを問うているスピリットなのです。
つまり、トイレを汚くして他人に渡す方は、「気持ちの悪い人格」、誰も見ていないからとトイレットペーパーをたくさん使うのは「おじはん、おばはん」ということで身近な性奴隷になってしまうのです。
魅力的に成りたければ、とにかく、トイレという空間を気持ちの良い空間にすることなのです。
それは、性的な高級化にもつながりますし、逆に言えば、その辺の程度の見られ方でも良いというのも、人生では有りだということを、伝えたいのです。
そして、私の伝えていた、トイレ掃除というのは、本来は、美しい人格形成、美しい容姿形成、美しい仕事術形成、美しい人生設計、魅力的な性器形成ということに、向上の意思のある方にしか届かなかったものですが、それが、その方人それぞれの見られ方という様々な自分像の形成に役立てればと思います。
私の性善説が原因で、おじはんで、おじはんと言ってはいけない風潮がこの社会に生まれてしまいました。
しかし、これからは、そのいった、多用的なあり方の尊重を私の性善説でこの社会に作ることが出来たなら、おじはんと見られたい方はそうすれば良いですし、その代わり、人それぞれの自分の小さな行いは自分の意思であるという責任も、同時にこの社会に根付いて行って頂けたら嬉しいです。
今までは、よくもわるくも「お兄さん」と呼ばなければならない風潮がありました。
しかし、それが必ずしも他者の気分を良くするものではないということに気がつき、しかし、もう性善説でしか生きられない私が、このことを、責任を持って説明させて頂こうと考査した次第です。