聖書の言葉に「あのむなしい、だましごとのような哲学によって、だれからも信仰と喜びが奪われないように注意しなさい。あのような哲学はキリストのことばによるものではなく、人間の考えや思いつきから出た、幼稚な考えでしかありません」コロサイ2:8

という教えがあります。

 

この頃の時代、ギリシャでは哲学思想や偶像崇拝が盛んでした。当時のギリシャではギリシャ神話の神々を拝んでおり、神々の像を作って商売にしたりもしていました。

上記の聖句が書かれたのは今から2000年前、日本では弥生時代でしたが、文明が発展していました。

 

何かを追求したり探求して物事を考えること自体は悪いことではありません。

けれど人間の思考には限界があります。世の真理を無視して、むなしい人間の考えから生まれた哲学や、今では科学のみを信じるということはよくないことを聖書は語っています。

 

では聖書のいう世のとは?神の正体について、知ってほしいと思います。

少し長くなりますが、よろしければお付き合いくださいね♪




 

聖書は人間が創作した物語ではなく、神から直接啓示をうけて選ばれたユダヤの民によって

書かれたものであり、古いものだと3000年前から執筆されています。

しかも、聖書を書いた人物は総勢40人であり、全てその人たちは違う時代で、まったく違う

職業の人だったり、聖書に精通していない人も神の霊を受けて書かれたものなので、矛盾がまったくないのです。そして神から預かった言葉の中に、これからどのように世界が動くのかというもの教えてくれています。

 

さて、ではこの神は一体何者なのでしょう?人は神は誰から造られたのか?

実は宇宙人がやってきて、この世界をつくったとか、

波動の高い人間はスターシードをもっておりこの地球に生まれてきた…

などと都市伝説になっていますが、そんなわけがありません。

 

まず神を人と同じように比べることがナンセンス!人間には理解が到底できませんが、神は誰によっても造られたものではなく、自分自身で存在し、永遠を生きる者なのです。

実はその神が、この地球の歴史に介入までしてきてると思ったらびっくりしませんか?

 

どんな時も神は人間と共におられます。時には歴史上の人物として生まれて、私たちにふれあっていたとしたらまさに驚きです!

 

そう、その神の正体はイエス・キリストなのです。

 

みなさんは、イエス・キリストはユダヤ教を改革した創始者だと思っていませんか?

残念ながら、違うんです。聖書は創世記から始まり、ヨハネの黙示録で終わりますが、この聖書はすべてにおいて、イエス・キリストについて語っているのです。

イエスキリスト自身も、聖書は自身について証ししていると述べています。

 

まさに神は私たちと同じように命があり、感情もあります。

 

☑神であるイエスは、わたしたち人間を造りました。

 

☑神であるイエスは私たちを愛しています。

 

☑人類の先祖であるアダムとエバは神との約束を破り、神との関係を破壊してしまいました。

ですので、私たちは神との関係の断絶である罪が入りました。

人は自分の努力によって罪を取り除くことはできません。(生まれ変わって前世のカルマを解消するなんてシステムはありません)

 

☑イエスは、人の罪をとりのぞくために罪のない人間となって生まれ、人の罪をあがなうために十字架にかかり死なれました。

人が死という概念を克服させるための初穂となるために三日目に復活されました。

 

あー、はいはい復活ねーって感じですよね(笑) ギリシャで宣教した時もイエスの話を聞いて信じた人も復活については、またきくよ~と軽くあしらって信じませんでした。

 

けれど、なぜ復活を信じる事ができるのかは、これは歴史的事実だからです。500人以上の人が目撃しています。イエスが神だと信じようとしなかったものでさえも復活したことを証言しています。

そして、聖書を書いた一人で、ユダヤ人の中のユダヤ人、ユダヤ教に精通した使徒パウロも

 

しかし、これだけは言わせてください。私たちが伝えたとおり、あなたがたが、キリストの死からの復活を信じているのなら、なぜ、「死んだ者は二度と生き返らない」と言ったりする人が出るのですか。 もし死者の復活がないなら、キリストは今も死んだままのはずです。 もしそれが事実なら、私たちが宣べ伝えていることは無意味であり、あなたがたの信仰も価値のないものとなるのです。 そして、私たちは、大うそつきということになります。なぜなら、もし死者の復活がないのなら、神はキリストを復活させることはなかったはずですが、私たちは、「神がキリストを墓からよみがえらせた」と主張しているからです。 もし死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったでしょう。 そして、もしキリストが復活しなかったのなら、信仰はむなしく、あなたがたは今も罪の中にいるのです。 また、すでに死んだクリスチャンは、みな滅んでしまったことになります。 もしクリスチャンであることが、この世の生活でしか価値がないのなら、私たちほどみじめな者はありません。コリント15:12~19

 

もし聖書の語ることすべてが嘘ならなんの意味があるのでしょう?特に当時のクリスチャンはキリストを信じる者は迫害を受け殉教していきました。死んでまで守りたかったものとはなんでしょうか。すべて真実なのです。

 

このことを信じるならば、善行や苦行で救われようとしなくても、神に罪の赦しを得ることができ、あなたの魂までも解放され、本当に永遠の命を得ることができます。

 

人が永遠をおもう心があるのは、無意識に永遠があることを知っているからなのです。

話は戻りますが、こういった事柄を信じる事ができないのは、人によって考え付いたむなしい哲学や科学の発展によって人間の考えた結果こそが正しいと思い込むようになったから。

今、まさに生きる神を差し置いて、スピリチュアルブームがはやり、もはや生きてもいない

人間の作り上げた神を祀っているのは、古代からもなにも変わりません。

 

けれど本当に人を救うべき力があるのは生ける神だけなのです。

ぜひこの生ける神を、聖書を通して調べてみてくださいね。

神はあなたを愛しています。救いたいと切に願い求めています。

あなたもそんな神に心をひらいてみてくださいね♪

 

福音ルカ