消えた地図記号~「桑畑」 | これからの「地理」の授業をはじめよう

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蚕糸業が最盛期だった1930年代には全国農家の約40%に当たる221万戸が養蚕業に従事し,蚕(かいこ)のえさとなる桑を栽培する桑畑の面積は全畑地の約4分の1の71万haを占めていた。しかし,日本の輸出総額の約60%を占めていた生糸・絹織物は,生糸の最大の輸出先であったアメリカにおける安価な化学繊維の普及や,戦後に農家が養蚕よりも食料生産を優先したことによって衰退した。1950年代に養蚕業は活気を取り戻したが,ライフスタイルの変化や中国・韓国との価格競争により再び衰退し,2008年には養蚕業を営む農家は1,021戸,桑畑の面積は2,011haにまで減少した。かつて日本各地で見られた桑畑は果樹園や住宅地などに姿を変え,現在はあまり見ることができなくなった。このような時代の変化にともない,桑畑の地図記号は廃止されることになった。

 

養蚕農家(群馬県藤岡市)

明治時代以降,重要な輸出品であった生糸(絹)の生産を拡大するため,養蚕農家が各地につくられた。2階は蚕を飼育する養蚕室となっており,屋根の上には部屋の温度を調節するためにおこした火の煙を排出する煙出しが設けられている。