日本は自前の資源が無い国です。外国からの石油の輸入が止められれば国家としてやっていけません。かといって、当時、速やかに撤退するには日本は中国にあまりにも深入りしすぎていました。仮に政府がアメリカの要求を聞き入れる方針だったとしても、軍部などのタカ派、強硬派が簡単には従わなかったと思います。


その5年前の1936年、俗にいう2.26事件によって多くのハト派、穏健派の政治家が軍のクーデター未遂事件によって殺されていました。おそらく当時の日本政府高官の脳裏にはその記憶が生々しく焼き付けられており、「タカ派に逆らうといつ殺されるかわからない」という恐怖感が大きかったと思います。この状況で、タカ派を押さえて平和路線に進むにはとてつもない勇気と政治力が必要でしょう。残念ながら、当時の日本にはそれだけの勇気と力量をもった政治家はいなかったようです。

「石油を止められたら日本はやっていけない。かといってアメリカに従えばタカ派に殺される」タカ派を押さえる力を持たぬ政治家たちは、このジレンマを解決する手段として、軍部の意のままに、武力をもって外国の石油を確保する道を選び、日本は破滅へと進んでいきました。おそらくアメリカは、そのあたりの日本の国内事情も知り尽くした上で、日本が従わないのを計算ずくで「ハルノート」を突きつけたのだと思います。

真珠湾攻撃は予想外の奇襲などではけっしてなく、アメリカのリーダーたちの思うつぼの結果だったようです。そうであれば、当時のアメリカ政府は、あのときハワイにいた自国民を、それも軍人だけではなく、多くの非戦闘員を自らの手で死に追いやったことになります。同種の例は他にもあります。したがって、9.11がアメリカ政府の陰謀だったとして、決して前代未聞の異例のケースではないのです。

たしかに9.11ほどの人数の犠牲者を出したケースはこれまで明るみになっているなかには無いようですが、程度の差にすぎないことだと思います。それに、前例が無いのは、それまではあそこまでする必要が無かったからであって、決してアメリカ政府が人道的だったからではないと思います。

次回はそのあたりについてもう少し具体的に記述しようと思います。

9.11事件が発生した当初「第二のパールハーバー」あるいは「パールハーバーの再来」という言葉が現地でさかんに流れたと聞きます。おそらく、誰も予想しなかった奇襲、というぐらいの意味で使われていたのだと思いますが、私はこの事件は別の意味で第二のパールハーバーだと思います。


1941年、当時のアメリカの国務長官、コーデル・ハルが日本にある文書を突きつけました。俗に「ハルノート」と呼ばれるもので、内容は「中国に進駐している日本軍を撤退させろ。さもなければ日本に入ってくる石油をストップさせる」というものでした。あ当時の情勢からして、日本がこの要求を聞き入れる可能性は極めて低かったのをアメリカは見抜いていたと思われます。あれは戦争を目的とした挑発 だったという説が今日では有力になっています。

戦争を行なう際、自国から先に攻撃を仕掛けたら大義名分が立ちません。相手から先に攻撃してくれたら堂々と大義名分を掲げて報復攻撃ができます。「ハルノート」とは、日本にアメリカを先制攻撃させることによって、アメリカの日本攻撃を正当化するための罠だったと思われます。真珠湾攻撃は、日本がその罠にまんまとはまった結果だと思います。

詳しく述べると長くなりますが、仮にビンラディンたちが事前にマークされていなかったとしても、あのとき、アメリカの防空体制が正常に作動していれば、ハイジャック機に軍用機が接近して強制着陸を命じることは計算上では4機とも可能だったと言われています。そのとき仮にハイジャック犯たちが命令に従わなかった場合、たしかに結果的には事件は防げなかったかもしれません。飛行機には罪のない一般乗客も多数乗っていました。撃墜するということは、それらの乗客も皆殺しにすることを意味するのですから、撃墜の許可はおりなかったかもしれません。しかし、途中の過程で軍用機が急接近したというケースが4機のうち1機もなかったのは絶対におかしいと思います。


あのとき、アメリカの防空当局は、事件をわざと見てみぬふりをして放置したのではないでしょうか?そうでなければ辻褄が合わないと思います。

 その他、アメリカ政府黒幕説の根拠は枚挙のいとまがないほど流れています。
さらに言えば前回までの主題であったケネディ暗殺にも相通じる、アメリカという国の、戦争を求め続ける好戦的な体質が最悪の形で表面化した事件だと思います。