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ワールドドール(World-Doll) 店主の佳山です!(^^)!


こんにちは


秋晴れですね。

僕が住む堺市南区は最高気温28°という夏日です。 夏日でも、家の中で、広いリビングで窓開けてると、扇風機もいらないくらい快適です。 ずっとこれくらい快適な日が続いたらいいと思ってしまいますね。 エアコンや暖房器具無しで過ごせる、まさに秋と春が1年中続いたらと思います。 さてさて、本日は、当店でも何度も取り扱ったことがあるお人形ゾンネベルグについてです。 当店で以前販売したゾンネベルグ


それではどうぞ。

チューリンゲンの人形町、ソンネベルク

この文章は1895年に出版された”Illustrierte Welt”に基づいて書かれました。

私はなんて幸運なのでしょう。
私の息子はある日、私の金で作られた時計を水の中に入れてしまいました。
この行動によって、私の妻は息子のことを難解な哲学者や偉大な実験者と呼びました。

私は配達員を激しく嫌う可愛らしいダックスフンドを飼っています。
私は配達員から靴下類のお金を多く受け取りました。
私には三人の娘がいます。
アニー、リサ、キティ―という名前で、ソファーの足に人形の頭を投げ、赤ん坊の人形から足をもぎ取ってしまいます。

そのきれいな女の子たちはある日曜日の朝に私の前に現れました。
それぞれがもぎ取られた人形の腕をもって「お父さん、見て!」と言ってきました。
私はひどく怒り、その人形のトラブルがすぐに解決することをひどく望みました。
妻は彼女の親しみのある笑顔で反撃したのです。
彼女は「どうしてそんなに興奮しているの?
子供はいつもこのような事をするの。貴方を驚かすためにやったのだと思うわ。」と私に言いました。


これは私の怒りを強めてしまいました。
私の強めた口調で激しい主張をして反撃をしました。
そうすると彼女は私に鋭くこう言ったのです。
「わかった、わかった。あなたの好きなやり方にしなさい。
かわいそうな子供たちには出張から何も買ってこないでね。
特に人形!」


私は暗い脅迫的なまなざしを彼女に向けると、彼女は泣いてしまいました。

私は自分の言った言葉は守るし、私の決断は変更できません。
私は次の出張に憂鬱な気分で行きました。
私が残したものは家族との間の休戦でした。
私の妻の最後の言葉は「お願い、人形はやめて!」で、唇は悲しみで震えていました。

「それは本当に受け付けられない、お願いだから」と妻は私をすぐに黙らせました。
出張に行くときは感情的になるため、妻の小さな手にやさしくキスをしましたが、受け付けてもらえませんでした。

載った機関車はチューリンゲンへと出発しました。
隣の席にはふくよかで愉快な男性が座っていました。
私たちの窓に車掌が来て、「ソンネベルクに行くのですか?」と尋ねられました。


私の隣人は私の結婚指輪と手入れの行き届いた眉毛を見て、「それは人形の町ですね!」と話しかけられました。
私は彼と話しました。彼は商品に興味があるビジネスマンでした。
彼によると、ソンネベルクは12000人以上の住人がいて、ニュルンベルクのおもちゃのように、1500万の人形を世界中に輸出しているそうです。
ニュンベルクのおもちゃはソンネベルクで作られていました。その木工工場は三十年戦争の間でも栄えました。












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追伸


最近、商品リサーチのために、15年以上前の雑誌を観たりしているのですが、
15年前だと、スマホもないし、ガラケー時代で、こんなモンが売れてたのか?っていう驚きがあります。
ツーカーの骨伝導携帯とか紹介されていて、面白かったです。

30年以上前になると、もうまったくファッションセンスとかも違うし、芸能人のメイクとかも全然違うんだな、みたいに思います。
あと、煙草の広告がとても多かったりもします。

15年前だと、日本に最後の余力が残っていて、日本が方向転換するには、このタイミングしかなかったと思います。

30年前だと、バブルの名残で、日本がまだまだ強くて、世界経済でもとても強い立場だった頃で、
雑誌からでも、その勢いを感じ取れます。

ハードばかりで、ソフト面を発展させなかったツケが今に至っているんですけどね。