父のカメラ
トリガーレバーの RICOH “35” De Luxe

父は今でいうところの『経済産業省』の役人でした。
当時の呼び名は『国立工芸指導所』。後の『通商産業省』です。
今の世の中では、非難ごうごうの役人です。
自分でも、最後まで笑いながら役人は目の仇だと言ってました。
主な仕事は、海外の文化の視察と導入。そして日本の伝統文化の推進だったと思います。
私が幼稚園の頃までは借家住まいでした。その後小さな家を建てました。
今の家庭にくらべても、金銭感覚は特別に贅沢ではないように記憶しています。
当たり前のように、私は普通の公立の小学校・中学校に通っていました。
私は、家族からお年玉を含めてお金をもらったことが殆どありません。
大学に入ったときに1万円もらったのが始めてだと記憶しています。
でも遊園地や動物園やデパートには毎週のように連れて行ってくれてました。
びびる私をジェットコースターやゴーカートに乗せて、自分が喜んでました。
冬はスキーに行き、いきなりリフトに乗せられました。
いろんな所に連れて行ってくれたので、日射病にかかったことも、川に流されたこともありました。
どこにも出かけない日は、凧揚げやローラースケートや、大工仕事のお手伝いをしていました。
面白い事が沢山あったので、女の人には全く興味がなかったんでしょうかね。
母を気に入ったのは、仲間うちで遊びに行った時、唯一ダムから飛び込んだ女だからだそうです。
面白く個性的な女の人が好きだったのかと思っています。
70年前の赤城山でのキャンプの様子の青焼の旅日記。浅草から水沼まで2.3円か・・・

小学校の体育の授業参観では、勝手に鉄棒にぶら下がり懸垂をしていた父。
少しでも雪が積もると、近所の目も気にせず、原っぱでスキーをしていた父。
そんな父も生存していたら、102歳。92歳まで好きなドイツ語と古文書を習い、どんな環境でも日々を楽しんでいました。
ダンディで好奇心旺盛な父、福岡和雄がとても大好きです。
母も姉も好きですが、なんか仲の良い友達のような大好きさなんです。
父の好きなオランダのチューリップを持ってババちゃんとお参りに行ってきました。家同士が仲が良いのは、とても幸せなことです。
ブルーノ・タウトさんの書に、いつもカメラを持っているけど、あまりうまくないと書かれてます。
当時はどのカメラを使っていたのか気になります。