『リセット』という言葉が嫌いだ。 | 夢香房すさのブログ

年に一度、大体この時期に私・小助は神妙な


気持ちになる。年末・年始休暇と並ぶ長期の


休暇を終え、その期間の自身の為体(ていたらく)に


唖然、茫然、愕然となり、自身の無能ぶりに戦慄を


覚える。時間が無意味に流れ、金銭が無駄に浪費され、


何一つ達成感を味わうことなく、今年も休暇が終息した。


しかし、私は、「さあ、気分をリセットして、仕事に勤しむぞ」とは


思わない。自身が過ごした・流した・追いやった人生の時間は


決して、『リセット』して『零(ゼロ)』にはならないと考えるからだ。


不本意な時間を積み重ねてしまったのは、自身の怠慢に


他ならない。だから、それを死ぬほど後悔し、のた打ち回る事が


自然である。決して、電源切って、又入れて、さあ新しい自分を


再スタート・・・・といったゲーム遊びであってはならないのが


人生であろうと考える。


「失恋しました。リセットして新しい人探します」・・・・・・


「仕事辞めました。リセットして新しい仕事探します」・・・・・


「罪を犯しました。でも刑に服したからリセットです」・・・・・


違います。つまらぬ男に引っかかったのも、


       仕事が務まらなかったのも、


       罪を犯したことも、


全て、消えません。そんな自分であったことを引きずって


もがいて、もがいて、この先 生きていかなければならないのです。


私の泥沼気分は暫く続くと思います。やがて持ち直して、


来年の今頃、再び同じ気分を味わうことになるだろうと


思います。だけど、私は、リセットはしません。


怠慢と絶望を交互に、年輪の様に描いていくのが


これからも続くのではないでしょうか。


開高健さんは、おっしゃいました。


『人間、賢くなれるのは昨日に対してのみであります。


今日と明日に対しては、永遠に無知であります』


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