とある起業家の成功目録 -2ページ目

とある起業家の成功目録

一歩ずつ、早歩きで。


批判されまくりのゆとり世代です。







それは・・・・



自分のやりたいことばかり主張して、いわれた仕事をしない



という言動を批判的されているものです



これが大多数の見解でしょう。


でも、それは雇う側や上司側からみた批判ですよね。


実際、就職活動の面接でも「この会社に入ってあなたのあなたのやりたいことは何ですか、何をしてみたいですか」と聞かれる。なのに、「やりたいことをすべてやらせてもらえるわけではない」なんて、矛盾したメッセージにもほどがあります。



自分の会社に雇用する人たちをもっと違った視点で見る必要性が生じているのに気づかないようにしか思えません。


それなら面接の時、「あなたのやりたいことが必ずしもできるとは限らないけど、もしできるとしたら私たちの会社であなたができそうなことを一応教えといてください」と正直に言うべきでしょう(笑)。



それを言ったら応募者が減るかもしれませんが、それでも「やりたいことができないならやめてやる」なんていう人たちをつくらないためにも、費用対効果を考えても、それほどマイナスなことだとは考えられないでしょう。



ところで、そういういわゆる「ゆとり」の考え方を後押ししたと考えられる本があります。



『9つの性格』




人の性格や特徴はいくつかに分類でき、それぞれの得意なことは必ずある。




それをお金に変える工夫をすることで自分の潜在能力を活かすことができるようになる、という考え方です。




これって、ゆとりの基本的な考え方ですし、いちがいに批判はできない大事な考え方ですよね。




だから、自分のやりたいことしかやらないのが「ゆとり」として批判されるのが変なのです。




ならば何が問題なのか?




私は、単なる「コミュニケーションの問題」「世代間の対話のなさ」の問題なのではないかと思います。




お互いに相手が何を欲しているか、よく話し合えば、「新入社員がわがままで、自分のやりたいことしかやらない」という課題は解決する方向に進むのではないでしょうか。





人とそういう会話をすることってなぜか日本ではケンカになるんじゃないかと懸念してしまう人が多い気がします。




本当の気持ちを言ってしまったらハブられるんじゃないか、KY扱いされるんじゃないかと思ったり、出世に影響するかもしれないと不安になり、本音を口にできない。



お酒の力を借りなければ本当のことを言えない。




そういう週間に問題があるのではないでしょうか。



























最近の小説では流行っているのものはいつも




登場人物のキャラが明確でわかりやすいものが多いですよね





全体の構成のなかでキャラが活きているもの




そして、キャラが物語を進めていくもの




その境界線はあいまいですが、やはり構成としては全く違うものだと私は認識できると思っています。



ハリーポッターが流行ったわけは、そういう「キャラの活かし方」がすごかったからじゃないでしょうか




ハリーはやる気がなくてもある分野では最初からなんでもできる




ハーマイオニーは頭脳派であらゆる知識があり、才能があるタイプ





そして三段落ちにつかわれたのがロン。




こういう対照的なキャラ設定がベストセラーに一役買ったのでしょう。




これと対照的なのが、日本文学。



日本文学は感覚の世界です。




登場人物の心情がそのまま天候で表現されてたりします。




どっちがいいかっている問題より、今の時代の流れ的には、キャラ設定を面白くするのが良さそうです。





芸能人なんかもそうですよね。




キャラがわかりやすくて面白く、時代に合っていれば起用される気がします。




わかりやすいのが一番!ということでしょうか。








「ひぐらしのなく頃に」というアニメは知ってますか?



一週間前後で起こる連続殺人事件が4、5回繰り返され、


その都度、殺されてしまう人は変わらないけど事件自体は少しずつ変化していき、



犯人も回を追う事に微妙に違う、というストーリーです。


過去に戻れたら、という願望を見事に実現してますよね。



最善の行動に向かって
同じ期間が何度も繰り返される




まるで人間の輪廻みたいです。




罪を犯しながらも何度も「あのときこうすればよかった」を本当に次の人生に実現するために何度も何度も生まれ変わる。




そして、試行錯誤しながら過去の後悔を克服しようとする。




そうやって、かつての自分たちの罪を背負いつつ、記憶はないけれど、それを克服していく過程で、命の大切さや周りの人を味方につけることが困難解決の最善で効率的な手段なんではないかというメッセージ性がこめられていると思います。




人間は自分がどうしても思い込みから自由でいて、客観的に判断できると思いがちだけど、そうじゃないんだとわかりやすく教えてくれる。




とてもスケールが大きい作品です。




そのなかで僕が一番気に入っている場面は、最後の最後の部分。





連続殺人事件を引き起こした真犯人がつかまる寸前のときのセリフです。





「この世界は誰かがあやまちの責任を取らなくてはならないの、誰かがジョーカーを惹かなくてはならない」。





誰かがこの世界の負の部分を引き受けなくてはならない。





それが現実の世界なのだと。




貧富の格差、誰かが勝てばかならず敗者が出るマネーゲーム。
サブプライムローンの「責任の押し付け合い」なんかもそうです。



この世界はwinwinのゲームだけではなく、ゼロサムゲームでもある。



誰かが責任を取る、あるいは負の部分を引き受ける役割を果たさなくては成り立たない世界のが現実なのでしょう。




貧困問題に関心がある僕としては、とても考えさせられました。





それでもみんなが幸せになれるようなゲームもかならずあるはずです。







かなり前にはやったアニメといえば、「涼宮ハルヒ」シリーズ。




主人公ハルヒは高校入学早々、クラス会でこう宣言します。





「普通の人間には興味ありません」





そして、宇宙人・未来人・超能力者を探すというストーリー。




んで、そこでキョンと出会い、「sos団」というクラブをつくります。





話はキョンの長ーーーい独白で終始します。(アニメ版ですね)






結局、ハルヒは上の宇宙人や未来人・超能力者を自分の仲間に引き入れているんですが、本人だけはそれを知らないまま、進んでいきます。




平凡な日常だと思っているのは本人だけで、周りの人は非日常を送っている。




かなりの意外性だと思いませんか?









どの点が意外性があるかというと




私は登場人物全員が同じ物語のなかにいないことだと思います。





ハルヒが見ている「現実」と、キョンはじめほかの人物たちの見ている「現実」は180°違います。



ハルヒは「宇宙人や未来人・超能力者など、一般人じゃないひとを探している」のに、キョンたちは上のような人たちで、そういう人生を当たり前のように送っている。





「我思うゆえに我あり」という概念を、もとの意味から発展させた使い方をすれば





私がいるから世界は存在する。だから、私がいる世界だけがすべてだと考える。





私はアニメ版しか観てないので少し間違っているかもしれませんが、ハルヒは世界の創造主らしいです。そして、そのハルヒが創造した世界に、未来人や超能力者や宇宙人は当初から存在していた、という設定です。






こういった「意外性」はすごく話題性があると思いませんか?




だからこそ、有名になったのだと思います。











ワンピース・アラバスタ編でのひとコマ





「お前がどこの誰であろうと、俺はお前を超えていく」





ルフィの名言。かっこいい!





相手が誰であろうとビビらずに接していくという意味でしょうが、




ビビリの私には理解不能(笑)ですね。





ところで、ワンピースは売上が1000万部以上になりました。





ということは、ワンピースのクサいセリフ、好きな人が多いということなのでしょうか(笑)。





ちなみに、ルフィの名言はビビ王女の登場する「アラバスタ編」に多いです。








有名なシーンランキングその1


【ビビと麦わら海賊団の別れのシーン】


一緒に旅し、戦ってきたルフィたちと別れ、自分の国の王女として生きることを決意したビビ、でも・・・・


「私はここに残るけど、それでもまた会ったとき、仲間と呼んでくれますか」


その問いかけに、ルフィたちは一緒に戦った証でもある腕の印をみせてこたえるシーン。







その2


「お前なんかに俺が倒せるわけがねえ。俺は七武海なんだぞ」と凄むバロックワークスのクロコダイルに




【「俺はお前をここで倒す。お前がどこの誰であろうと、俺はお前を超えていく」】









アラバスタ編は流れといい、登場人物のキャラの活かし方といい、かなり出来てます。



最近のワンピースの戦闘シーンは、ルフィ・ゾロ・サンジのシーンに大きな割り振りがありますが、ロビンやナミ、フランキーなどの戦闘シーンが少ないので、この頃の一味のそれぞれの部分がなつかしい!