魂の犬、ゲームピット | 世界を旅する求犬道人 大真面目だ‼

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世界中「ヨーロッパを中心」の犬を求めて、夢見る真のスーパードックとの出逢いと、育成に、人生の半分を注ぐ我が儘男の生きざまblog

私の中での闘犬ファイターは、ゲームピットと言う類い稀なる驚異のスタミナと、そのゲームネスです
生まれて初めて、犬と言う存在に心底魂を揺さぶられたのが他でもない、このゲームピット、CN ファイター名付けた子です。

私の中で、後にも先にも、このファイターを超えるピットはいなく、ゲームと言う名の闘犬から退く事を教えてくれたのも、ファイターとの別れを経験した事が原因です。

ただただ強い犬を求めて、ゲームピットに辿り着き、その闘いの中で見せる強烈なまでの闘争心と、体格差をもろともしない闘いのポテンシャルに心底心酔しました。

しかし、このゲームピット愛が、日を追う毎に、残酷な闘いの中に飼い主として立たせる意味を見い出せなくなって行く自分が徐々に大きくなり、ファイターに対する後悔に苛まれていく様になりました。

バベシア症を発症、治療をしても、破壊されていく身体に、闘犬だけの為に繰り返し無茶なトレーニング、そしてバベシア症キャリア同士とまた闘わせる、その繰り返しを、無知な私は幾度となくやらせて来ました。

本当に、クズの極みです。

免疫不全、感染症と亡くなるまで闘い、最期も寒い中で、逝かせてしまう結果になりました。

きっと、ファイター、彼は、オヤジ辛いよ、寒いよ、と言いながら私に看取られる事無く、犬舎のケージの中で独り息を引き取らせてしまいました。

この事は、初めてブログに書きますが、私のクズぶりを、ファイターが今生きていたら、きっと彼は私を許してくれるでしょう

そう思える事が、ゲームピットとして生きて来たファイターと言う犬の強さなんだと、私の心の中で今も尚生きて、事ある毎に私に語り掛けてくれています。

私にとって、ゲームピットの強さは、単に犬同士の中での強さではもはや無くなっています。

私にとって、ドゴアルヘェンティーノ同様、魂の犬で有るかどうか、他人様がどう判断するかではなく、世間が判断するかどうかではなく、自分自身の魂を満たし、心奪うほど語り掛けて来る犬かどうか、ファイター、そしてシンバ、と言う犬を振り返った時、私の中での絶対的存在は、ファイターであり、シンバと言う犬なんですね

私が求めた強さを、ファイターは100%で応えてくれました。

ファイター亡き後、再来のピットを作りたいと何度も試みましたが、結果、無理でした。

それは、無理だったのでなく、私の心がもう折れていたんですね

ゲームピットなら、ファイターでなければもう駄目だったんです。

ドゴで有るなら、シンバじゃなければ駄目なんです。

いくら、立派な身体を持つピットであれ、ドゴであれ、彼らを超える存在には私の中でなれないんです。

要するに、私の中でのゲームピットは極め完成したという事です。

ドゴと言う犬種も、私の中で極め完成しました。

卒業も間近です。

アラバイと言う犬は、あらゆる大型犬種のルーツであり、強さを求めていますが、闘いの強さに照準を合わせているのではなく、

護畜能力や、主人を護る護衛能力、極寒の中でテリトリーを護る強さ、歴史に、ロマンを強く感じている事が、シープドッグに研鑽移行して行っている理由であります。

犬を飼い続ける中で、罪を作り、それに気が付き、猛省の日々、時に私が犬達にして来た行いを振り返ると、私は、犬を飼ってはいけない人間なんだと思えるんです。

それを、誤魔化す為に、こうしてブログを書いているのかもしれません。

許される筈のない犬への罪は、私が生きている間ずっと必ず続く筈です。

そんな罪を少しずつ理解して、少しずつ人として私も成長させてもらっているのかもしれません。

喜びも、反省も、全て犬が教えてくれています。

魂の犬ピットブル、最高です


Thank you everyone!!