凄み・シンバ物語 part 7 | 世界を旅する求犬道人 大真面目だ‼

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世界中「ヨーロッパを中心」の犬を求めて、夢見る真のスーパードックとの出逢いと、育成に、人生の半分を注ぐ我が儘男の生きざまblog

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ドゴアルヘェンティーノ・新たなる闘いへ…

久しぶりの東京へ、シンバ君凱旋です。

よ~し、シンバ、とりあえず、身体作りから始めるか!!
真冬だった為、山の生活では、身がつきにくく、あばらか見えていたシンバ君、ど田舎ハンターさん、犬は外、少々寒くても当たり前、汚くても当たり前、という方々が多いですね、
Nも、N父も、犬には、当たり前の如くそういう考え方です。

なので、シンバ君、食は満たされていた、 とは言い難い為、細く少々みすぼらしい、帰京後、直ぐに獣医の所へ、
体重40㎏あるかないか…えっ~細過ぎる…

獣医も、ちょっと細過ぎるね! 血液検査、フィラリア、等々してもらい、無事を確認、
熊本へ行く度に、抗生物質を与えていた甲斐が有ったね、と、獣医と胸を撫で下ろす…

とにかく身体作りだな、と、それから栄養価の高いドライフードに、生肉、ビタミン、運動、と頑張り、一ヶ月程で、体重は47㎏にまで増量、やっぱり栄養価が足りていなかったのでしょう、スムーズに体重が増え、血色もよくなり、明らかに力強くなりました。

この頃、実は、ピットブルファイターが既にいたんですね!

シンバが熊本に行く一ヶ月半前に宮城県から生後4ヶ月で連れて来ました。くりくりの目で、檻の中から愛想をふりまくるファイター、可愛いくて、将来闘犬なんか出来るのかな?と不安さえ感じた子でした。
ファイターの話しは、ファイター物語に回しますので…

シンバ、ファイター、ロットワイラーのドルフ、ミニチュアダックスのキアラと、計4頭の充実飼い、毎日が忙しく、自転車じゃ間に合わない、バイクのチョイノリというやつを買い、もっぱら、シンバとファイターは、このバイクで、夜は、新宿高田馬場から目白のフォーシズン椿山荘まで、Uターンして目白駅を越え、戻るという約5㎞のコースを、一週間に5日が日課、大雨以外は、ほぼ毎日です。

昼間時間の有るときは、戸山公園、代々木公園にお散歩…

この頃に、ピットブルの闘犬チームを作ったのが、関東 侍の会 になります。

当初は、名称CJMP クラブジャパンメジャーピットブル、宮城県 若松会長を主とする団体です。

ここで、やり始めたのが、私のピットブル闘犬初になります。

それまでは、沖縄半島のとある島で、先に登場した川間塾長の古い友人が極少人数でピットの闘犬をされているのを、見学させてもらった事は、ありましたが、( 台湾、韓国、タイでも見学)

自分の犬を持ってやるのは初めてです。

CJMPで、やりだしたのもつかの間、福島県梁川のCJMP梁川が団体の人数8割を占めていた事もあり、ここのメンバーが、若松会長他、山形支部と、人間関係で揉めて脱退、
付き合いもほとんどありませんでしたが、一応、私から、このメンバーの主になる人物に電話をして、考え直して、納得いく形で再度やってくれませんか、と、お願いしましたが、答えは、結果的にノー、拒否されましたので、その程度にしか私の事を見ていないんだなぁ、と解釈し、今後交わる事もない方々、閉鎖的な思考の方々とやっても仕方ない、そう考え、自分のチームを作りやりましょう、わざわざ東北まで行く必要もない、そう考え、茨城県にて、侍スピリッツを持った、類い希な究極の犬種であるゲームピットのハートを捉え、侍の会と、命名、スタートを切った次第です。

徐々に人も増え、一年に4回から5回の開催、平均8試合、多い時には10試合を組み、人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、めいめいが言葉使いにも気をつける、を、基本にやり出しました。
また、お決まりの、風体の悪い態度の悪い人間、何処の誰さんであっても、ヤクザであっても、うちに来たら礼を尽くしてもらう、出来ない方々は、帰っていただくことも徹底し、その効果もあり、皆和気あいあいと良い会へとなって行きました。

その為、APCJに嫌気がさし、辞めた方々や、土佐をしているが、ピットにも興味が有る方々等も多数参加してくれる様になり、

対ピットブルだけではなく、様々な犬種が参加する様にもなり、

試合も盛り上がり、この頃を知る人はみんな見応えのある闘犬を観戦しただろうと思います。

ピットブル 対 土佐犬

土佐ピット 対 アメブル

ナポリタンマスチフ 対 ピット

ナポリタンマスチフ、ロットワイラーミックス対 ピットブル

ピット対 ドゴアルヘェンティーノ

ドゴアルヘェンティーノ 対 土佐大型某団体横綱

ピット 対 土佐大型某団体大関

等々、それはそれは、見応えのある試合ばかり多数やりました。

ここに書けない闘いもあります。

非常に厳しい闘いになる試合も多数ありました。

中には、亡くなる子も数匹いました。後に記していきますが、私が今、闘犬から遠ざかっている理由がそこにあります。

この時は、最強説を地で行くという強い思いがありましたので、迷う事なく、体重差関係なく、やらせてもいました。

時が経ち、今から冷静に振り返ると、本当に残酷な事を繰り広げやって来たなぁ、とつくづく思います。

人間の欲望は果てしなく、人間の欲望はただただ残酷な道へと走り出す、

今の時でいう、IS イスラム国が欲望のままに突き進み殺戮を繰り返した様に、

人間は、欲望のままに行くと、やがて、破滅しかないという事を、私は、犬の闘いから、無茶苦茶な闘いをさせていた過去から、学んだのです。


ドゴアルヘェンティーノ・シンバ、闘いの道が今、始まろうとしています。


続く…